リトアニア:カウナスでミサ、教皇「外に向かう教会」強調
バルト3国訪問2日目、9月23日(日)、教皇フランシスコは、リトアニア中部、カウナスに向かわれた。
カウナスはリトアニア第二の都市で、首都ヴィリニュスがポーランドに侵攻・併合された1920年から20年間、臨時首都が置かれた。
カウナスではネムナスとネリスの2つの川が合流する。教皇は、この2つの川の合流地点を望むサンタコス公園で、ミサを捧げられた。
会場にはおよそ10万人の信者が集い、オーケストラやコーラスの調べがミサを彩った。
教皇は、ミサ中に福音朗読された、マルコ福音書(9,30-37)の、
イエスが弟子たちに再びご自分の死と復活を予告する場面を取り上げ、説教を行われた。
マルコ福音書において、イエスは3度にわたりご自分の受難を予告したが、3度とも弟子たちの無理解に会い、そのたびに、教えをもって弟子たちを諭していると、教皇は指摘。この箇所は、イエスが2度目に受難を予告した時のエピソードである、と説明された。
キリスト者の人生には、常に十字架の時があり、その苦しみには終わりがないように見える時もあると述べつつ、教皇は、占領や強制連行、密告や裏切りの只中に置かれた不安と苦悩、シベリアやゲットーという言葉に触れる時の戦慄を体験した、リトアニアの人々の歴史を振り返られた。
イエスの弟子たちは、イエスが苦しみや十字架について話すことを望まず、彼らはまったく別のこと、すなわち、誰が一番偉いかを議論し合っていた。
権力や栄光へのこだわりは、過去の記憶を癒せない人々によく見られる態度であると教皇は述べ、こうした人々は、今日取り組むべき課題とさえ向き合うことができない、と話された。
イエスは、弟子たちの権力闘争や犠牲の拒否に対し、子供を彼らの真ん中に立たせ、「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである」(マルコ9,37)と言われた。
教皇は、「イエスは今日、誰をわたしたちの真ん中に立たせるでしょうか。誰がわたしたちの間で最も小さき者、最も貧しい人たちでしょうか。独立宣言100年において、わたしたちが受け入れるべき人々は誰でしょうか」と問い、地域における少数民族や、職を求め移民せざるを得なかった人々、孤立したお年寄り、人生の意味を見いだせない若者たちなどの存在を示された。
教皇は「外に向かう教会」を強調。自分の何かを失うように感じて、社会の片隅の人々に尽くすことを恐れるようではいけないと、人々を励まされた。