教皇、シノドス参加者と移民・難民のための祈り
教皇フランシスコとシノドス参加者らによる祈りの集いが、10月19日(木)午後、バチカンの聖ペトロ広場にある移民をテーマにしたモニュメントの前で行われた。
聖ペトロ大聖堂に向かって広場の左に設置されたブロンズ製のモニュメントは、船上にひしめき合う老若男女の群像を表現している。様々な民族・文化に属し、それぞれの歴史的背景を抱えた移民たち顔の間に混じるように、天使の羽根がのぞいている。
「Angel Unawares」(※「気づかない天使たち」の意)と題されたこの群像は、カナダの彫刻家ティモシー・シュマルツ氏の作品で、新約聖書「ヘブライ人への手紙」中の「旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、気づかずに天使たちをもてなしました」(13,2)という一節にインスピレーションを受けている。また、この作品の中で、天使は移民たちの中にあって、彼らを見守る存在でもある。
このモニュメントを前に、移民・難民のために捧げる祈りにおいて、教皇は「ルカによる福音書」中の「善いサマリア人」のたとえ(ルカ10,25-37)を観想しながら説教を行われた。
エルサレムからエリコへの道が安全なものではなかったように、今日でも、砂漠や、森林、川、海などを越えていく移民たちの様々なルートは決して容易なものではない、と述べた教皇は、「いったいどれだけの兄弟姉妹たちが、このたとえ話の旅人と同じような目にあっていることだろうか」と移民たちの旅に思いをはせられた。
「今日の移民たちの旅路は、傷つき、瀕死のまま見捨てられた人たちであふれ、その苦しみの叫びは神の御元まで届いている」と教皇は訴え、これらの移民たちの多くは、残念ながらわたしたちが最近目にしているような、戦争やテロリズムから逃れて来た人々であると指摘された。
「今日も、イエスの時代と同じように、傷ついた旅人を見て、その前を通り過ぎていく人たちは、当然、もっともな言い訳を探すだろうが、実際には、それはエゴイズムと、無関心、恐れによるものに過ぎない」と教皇は述べた。
これに対し、福音書の善いサマリア人は、「その人を見て憐れに思った」(参照10,33)とあるように、教皇は「わたしたちの心に深く刻まれた神の憐れみ、これこそが鍵である」と話された。
また、教皇は、「事実、兄弟のように振舞ったこのサマリア人のおかげで、この怪我人は再び生気を取り戻したが、善いサマリア人がもたらしたものは、優れた救援の行動だけではなく、なによりも兄弟愛という名の実りであった」とも語られた。
「善いサマリア人のように、わたしたちは、今日の旅人たちの隣人となり、その命を救い、傷をいやし、苦しみを和らげるようにと招かれている」と教皇は強調。怪我した旅人の手当をしただけでなく、自分のろばに乗せ、宿屋に連れていき、介抱した善いサマリア人の行動に、移民への対応を表す4つの動詞、「受け入れる」「保護する」「支援する」「統合する」を重ねられた。
そして、教皇は、わたしたちの扉をたたくすべての移民・難民の隣人となるための恵みを、シノドス参加者らと共に神に祈られた。