教皇「ピオ7世、紛争と分裂の時代における一致の擁護者」
教皇フランシスコは、4月20日、神のしもべ教皇ピオ7世の帰天200年を記念する巡礼団との出会いを持たれた。
第251代教皇、ピオ(ピウス)7世(バルナバ・ニコロ・マリア・ルイージ・キアラモンティ)は、1742年、イタリアのチェゼーナに生まれた。1756年にベネディクト会に入会、修道名ジョルジョを名乗った。1765年、司祭叙階。1782年、ティボリ司教。1785年、枢機卿に任命されると共にイモラの司教となる。フランス軍のローマ侵攻によって捕虜となったピオ6世(ジョヴァンニ・アンジェロ・ブラスキ、在位1775-1799)が幽閉先のヴァランスで亡くなると、1800年、その後継者として教皇に選出された。
ピオ7世は、カトリック教会とフランスとの関係修復に心を砕き、1801年にナポレオンとの間に修好条約を結ぶも、ナポレオンとの溝は深まり、1808年、ナポレオンにより教皇領が占領・接収されるにおよび、ピオ7世は皇帝を破門した。これに対してナポレオンはピオ7世をサヴォーナに監禁、1914年のナポレオンの退位によって、ピオ7世はようやくローマに戻ることができた。ローマ帰還後は、イエズス会の復興や、ヨーロッパ諸国と教会間の関係再構築、科学や医学の発展に努めるなど、精力的に奉仕を続けた。
この日、バチカンに集ったのは、チェゼーナ=サルシーナ、ティボリ、イモラ、サヴォーナ=ノリの、ピオ7世にゆかりの深いイタリアの4教区から訪れた記念巡礼団。
教皇は巡礼者らへの挨拶で、ピオ7世を紛争と分裂の時代における確信に満ちた「一致」の擁護者と形容。
フランス革命とナポレオンの侵攻による混乱が痛ましい分裂をもたらす中、自身を孤立させ、あらゆる尊厳を公的に取り上げようと、力を振るう者たちが彼に与えた試練を、ピオ7世は教会への愛と献身のメッセージへと変容させることができた、と語った。
教皇はまた、ピオ7世を柔和で謙遜で忍耐強い、勇気ある福音の告知者、信仰の証し人として思い起こすと共に、貧しい人々へのいつくしみを広い社会改革を通し具体的に表し、医学をはじめとする学問の振興により人々の生活の向上・発展を目指したその功績を振り返った。
さらに、自分の迫害者たちを前に対話の可能性を常に保ち、自身を幽閉したナポレオンが失脚するとその親族に保護を与えるなどの、ピオ7世の対話と赦しの精神を思い起こした。
真理への愛、一致、対話、貧しい人々への配慮、平和の追求など、神のしもべ教皇ピオ7世が持っていた多くの価値を教皇は巡礼者らと分かち合いながら、これらを自分たちのものとし、証しすることができるようにと祈られた。