良き牧者の主日:教皇「イエスにとってあなたはかけがえのない存在」
教皇フランシスコは、4月21日(日)、レジーナ・チェリの祈りをバチカンの広場の巡礼者と共に唱えられた。
「良き牧者の主日」とも呼ばれる復活節第四主日、教皇は祈りの前の説教で、この日の福音朗読箇所、ヨハネ福音書10章、イエスが「良い羊飼い」としてご自身を示される場面(ヨハネ10,11-18)を取り上げられた。
教皇の説教の要旨は次のとおり。
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この日曜日、復活節第四主日は、「良き牧者」イエスに捧げられている。イエスは今日の福音(参照 ヨハネ10,11-18)の中で、「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」(同10,11)と言われ、それを何度も繰り返し強調される(参照 同10,11.15.17)。この羊飼いが羊のために命を捨てるとは、どういう意味だろうか。
特にイエスの時代、羊飼いとは単なる職業ではなく、一つの生活であった。羊飼いはある一定の時間に働くのではなく、羊たちと夜中も含めて一日中共にいて、一緒に生活する。実際、イエスは、羊を心にかけていない雇い人とは異なり、羊飼いは自分の羊を知っていると述べている。すなわち、イエスはわたしたちをよく知り、名前で呼ばれ、迷子になった時は見つかるまで探してくださる。それだけではない。イエスは羊と生活を共にするだけでなく、わたしたちのために命を捧げられ、復活し、聖霊を与えてくださった「良い羊飼い」なのである。
主が「良い羊飼い」のイメージを通して伝えようとされたこと、それは、ただイエスが群れの導き手、頭、であるというだけでなく、イエスがわたしたち一人ひとりを命をかけるまでの愛として思ってくださるということである。わたしはキリストにとって大切でかけがえのない存在であり、キリストご自身の命にも等しい無限の価値があるということである。単なる話ではなく、イエスは真にわたしのために命を捧げられ、死に、復活されたのだ。なぜなら、イエスはわたしを愛され、自分には見えない素晴らしさをわたしの中に見出しておられるからだ。
今日、どれほど多くの人々が自分自身をふさわしくない、あるいは誤っているとまで考えているだろうか。どれだけ多くの場合、自分の価値は、到達可能な目標や、この世の成功、他者の評価によるものだと考えているだろうか。イエスは、わたしたちはご自身にとって大切であり、その価値は変わることがないと言われる。ならば、自分を見出すために最初にすべきことは、イエスの前に立ち、自分を受け入れていただき、わたしたちの「良い羊飼い」の愛情深い腕に抱き上げていただくことである。
ここで自問しよう。わたしは自分の人生に価値を与える確信を抱くための時間を毎日持っているだろうか。イエスを前に、祈り、礼拝し、賛美する時間を見出しているだろうか。そうならば、あなたは人生の大切なことを再発見するだろう。「良い羊飼い」があなたのために命を捧げられたこと、イエスにとってあなたは大切で、かけがえのない存在であることを思い出すだろう。
わたしたちがイエスの中に生きるための本質な糧を見出せるよう、聖母の助けを祈ろう。