教皇フランシスコ、イエズス会教育使徒職国際委員会の関係者と  2024年5月24日 バチカン宮殿 教皇フランシスコ、イエズス会教育使徒職国際委員会の関係者と  2024年5月24日 バチカン宮殿  (Vatican Media)

「わたし」の文化から「わたしたち」の文化へ、教皇、イエズス会の教育関係者に

教皇フランシスコは、イエズス会教育使徒職国際委員会の関係者とお会いになった。

 教皇フランシスコは、5月24日、イエズス会の教育使徒職国際委員会の関係者とお会いになった。

 イエズス会は、重要な使徒職の一つとして、早くから学校教育に取り組んできた。ペドロ・アルぺ神父が総長を務めていた時期、1980年に設立された教育使徒職国際委員会は、イエズス会本部の教育事務局の諮問的役割を果たしてきた。

 教皇は関係者への挨拶で、イエズス会の学校は、アカデミックで知的な厳格さをもった環境の中で、新しい世代が福音のメッセージに耳を傾け続けることができるように設けられたものであり、その中心はイエスであり続けなければならない、と強調。

 そのためにもイエズス会員らは、学習計画や学校活動を通して、若者たちが福音に触れ、他者に奉仕し、共通善に貢献できるように取り組んできた、と述べられた。

 教皇はご自身が提案した「教育のためのグローバル・コンパクト」は、若い人たちが「わたしだけの成功を目指す教育」から、「より人間的で兄弟愛にあふれる社会と世界を築くために、他者と協力しながら自分の賜物と能力を活かし、真に充実した人生を発見できる教育」へと移行することを意図している、と説明。

 われわれは、「わたし」の文化から、「わたしたち」の文化に移る必要があり、それはアルぺ神父が「人を他者のために教育する」と繰り返していたことでもある、と語られた。

 「最上の教育方法は模範を通した教育である」と述べた教皇は、イエスがこのように弟子たちを教育されたように、わたしたちも学校でそうするように招かれている、と話された。

 教育とは種を蒔く作業であり、多くの場合、それは「涙と共に種を蒔く人は、喜びの歌と共に刈り入れる」(参照 詩編126,5)と聖書が言うとおりのものである、と教皇は指摘。

 教育は忍耐を要する長期的課題であるために、その結果はすぐにはわからない。イエスでさえも弟子たちからすぐに良い成果が得られたわけではなかったが、忍耐強くあり続けた、と振り返った。

 教育とは待ち、忍耐し、愛をもって粘り強くあるべきと教えるために、イエスはわたしたちに対しても我慢強くあり続ける、と述べた教皇は、イエズス会の教育関係者らを励まされた。

24 5月 2024, 16:23