聖パウロ6世教皇(ジョヴァンニ・バッティスタ・モンティーニ)
聖パウロ6世(ジョヴァンニ・バッティスタ・モンティーニ、在位1963-1978)は、1897年、北イタリア・ブレーシャ県コンチェージオに生まれた。
1920年、ブレーシャで司祭叙階。1924年、教皇庁国務省に入った。イタリア・カトリック大学連盟の顧問となり、20年代から30年代にかけてイタリア国内および海外への訪問を多く行った。
1937年、国務省副長官。1930年から37年に、教皇庁立ラテラン大学でバチカン外交史を教えた。
第2次世界大戦中、難民やユダヤ人の支援にあたり、バチカンでそのための事務所を取り仕切った。終戦後は、イタリア・カトリック労働者協会の設立に協力した。
1952年、国務長官代理、国務省総務局長。1954年、ミラノ大司教に。ミラノ大司教区では、移民の増加、物質主義の広がり、労働問題などに対応するための、新しい福音宣教に積極的に取り組んだ。多くの教書を記し、123の新しい教会の創設を認可、これまでにないダイナミックな市民宣教を試みた。教区の海外宣教にも力を入れ、米国、ブラジル、アフリカを自ら訪問した。
1958年、教皇ヨハネ23世より枢機卿に任命され、第2バチカン公会議の準備と本会議に参加。
1963年、ヨハネ23世逝去後のコンクラーベで教皇に選出される。前教皇が開催した第2バチカン公会議を受け継ぎ、多くの困難を乗り越えながら、実り多い閉会へと導いた。公会議の中では、現代世界に向けて教会を開くよう励ますと共に、伝統を尊重し、司教間の一致を常に保つよう招いた。
積極的に海外司牧訪問を行い、初めて5大陸を訪問した教皇となった。1964年に聖地を訪問し、コンスタンティノポリ総主教アテナゴラスと歴史的会見を行なったほか、65年にはニューヨークで国連総会に出席、67年、ポルトガル・ファティマとトルコ、68年、コロンビアとバミューダ、69年、スイス・ジュネーブとウガンダ、70年、イラン、パキスタン、フィリピン、サモア、オーストラリア、インドネシア、香港、スリランカを相次ぎ訪問し、世界に和解と平和を呼びかけた。
多くの回勅を発表。中でも1968年の「フマネ・ヴィテ」では、結婚や産児調節のテーマに触れながら、生命の尊さを説いている。
1968年、毎年1月1日を「世界平和の日」として制定。
労働問題や社会問題に関心を寄せ、家庭と命を離婚や堕胎から守り、社会的・政治的緊張やテロリズムの危険の高まった時代にあって、ゆるがぬ福音的メッセージを発した。
控えめで、謙遜、人間的繊細さと深い霊性をもったパウロ6世は、強い信仰をもって困難な時代の教会を導き、教会を愛し、そのために自らのすべてを捧げた。
1978年8月6日、「主の変容」の祝日に、パウロ6世は、カステルガンドルフォの離宮で、80歳で帰天した。教皇在位期間は15年と1ヶ月であった。
教皇フランシスコは、2014年10月19日、「家庭司牧」をテーマにした世界代表司教会議(シノドス)・第3回臨時総会の閉会ミサの中で、パウロ6世の列福式をとり行った。