教皇「司教とは祈り、召命を自覚し、人々と共にいる存在」
教皇フランシスコは、9月11日、バチカン、サンタ・マルタ館でのミサで、司教のあり方について話された。
教皇はミサ中の説教で、この日の福音朗読箇所、イエスが12人の使徒を選んだ場面(ルカ6,12-19)を振り返られた。
この箇所で、イエスは祈るために山に行き、神に祈って夜を明かされた後、朝になり、弟子たちから12人を選んで使徒と名付けられた。使徒たちと一緒に山を下りたイエスは、その教えと病気の癒しを求めてやって来たおびただしい民衆の間に立たれた。
イエスが選んだ使徒たちを、いわば最初の司教たちとして示した教皇は、現在バチカンで司教を対象としたセミナーが開催されていることと併せ、司教とはどのようにあるべきかを説かれた。
このところバチカンでは、任命後10年の司教たち、また福音宣教省管轄下の「宣教地域」の新司教たち、さらに司教省管轄下の新司教たちの、それぞれを対象とする、3つのセミナーが順次開かれている。
教皇は、司教とは「祈りの人」であり、自分が神から召されたことを自覚し、人々と共にいる存在でなくてはならないと強調された。
司教が試練の中で、イエスが自分のため、またすべての司教のために祈ってくださっていると知ることは大きな慰めであると教皇は述べ、この慰めをもって、司教は自分自身と自分に託された神の民のために祈る力を得ると話された。
また、教皇は、イエスが使徒たちを選んだように、司教たちも自分の力で司教になったのではないと注意。
イエスを愛する司教たちは出世主義者であってはならず、自分は召し出されたのだという自覚のもと、「わたしはつまらない者で、罪びとにすぎませんが、あなたはわたしを選ばれました」という、主との謙虚な対話を通して、主の眼差しを感じ、力を得ることが大切と述べられた。
さらに、教皇は、イエスが選らんだ使徒たちと一緒に山から下りて、人々の近くにいるために平らな所に立たれたように、司教たちも人々から離れてはならないと語られた。
今日司教たちが直面する様々な困難に触れた教皇は、祈りの重要性を改めて強調された。