教皇フランシスコ、カトリックアクションの子どもたちと 2019年2月3日 教皇フランシスコ、カトリックアクションの子どもたちと 2019年2月3日 

「神が望まれるのはすべての人の救い」教皇、日曜正午の集いで

教皇フランシスコは、日曜正午の祈りで、ルカ福音書を観想。間もなく旧正月を迎える人々にお祝いを述べたほか、カトリックアクションの子どもたちと世界平和を願い風船を放たれた。

教皇フランシスコは、バチカンで2月3日、日曜正午の祈りを唱えられた。

この集いは、同日の教皇のアラブ首長国連邦訪問への出発前に行われた。

説教で教皇は、この日の福音朗読箇所、ナザレの会堂におけるイエスと、イエスを受け入れることのできないナザレの人々の反応(ルカ4,21-30)を取り上げられた。

ナザレの会堂で説教するイエスに対し、人々はその恵み深い言葉に驚き、「この人はヨセフの子ではないか」(同4,22)と言った。

イエスがカファルナウムでしたように、ここでも奇跡を期待するナザレの人々の思いを読み取ったイエスは、偉大な預言者エリヤとエリシャが、イスラエルの人々ではなく、彼らの言葉を信じた他の民族を癒し、救ったことを例に引いて思い出させた。

教皇は、イエスがナザレで奇跡を行わなかったのは、神が望まれるのは信仰であるのに対し、人々は奇跡を望み、神はすべての人を救うことを望まれるのに対し、人々は自分たちに都合の良いメシアを望んでいたからである、と説明された。

イエスは人々に救いの無償性と普遍性に心を開くよう招いたが、ナザレの人々の憤慨は、「総立ちになって、イエスを町の外に追い出し...山の崖まで連れて行き、突き落とそうと」(同4,29)するほどであった。

イエスの公生活が、逆説的に同郷の人々の拒絶と死の脅迫から始まったことを教皇は指摘。

イエスは御父から託された使命を生きる上で、苦労や、拒絶、迫害、敗北に会わねばならないことを知っていたが、どんなに厳しい拒絶も、イエスの歩みと預言的な言動を止めることはなかった、と話された。

今日も、キリスト教的召命に勇気と忍耐をもって応え、御父の御旨を受け入れ、それを人々に証しする、預言者的な主の弟子たちの存在を思い起こされた教皇は、わたしたちも同じ使徒的熱意のうちに歩み成長することができるようにと、聖母の助けを祈られた。

教皇はこの集いで、2月5日、極東をはじめとする各地で旧暦の正月を迎える人々にお祝いを述べ、人々が自分自身、他の人々、自然と共に、平和のうちに生活できるよう祈られた。

この日、教皇は、ローマのカトリックアクションの子どもたちと、世界平和を願い、風船を空に放たれた。

03 2月 2019, 18:02