「神は砂漠にさえも道を開く方」教皇、アブダビでのミサで信者らに励まし
2月5日、アラブ首長国連邦訪問の最終日、教皇は首都アブダビの複合競技施設ザイード・スポーツ・シティでミサをとり行われた。
この教皇ミサには、アラブ首長国連邦とその周辺国からカトリック信者が詰めかけた。4万5千人収容の競技場内と、競技場の外の信者を合わせ、その数はおよそ18万人と発表された。
イスラム教徒が大多数を占めるアラビア半島をローマ教皇が初めて訪問し、そこでミサを司式するのは歴史的なこととあり、少数派であるカトリック信者たちの喜びは非常に大きい。
アラブ首長国連邦内のカトリック信者は、およそ10%とされ、
その多くが、インド、フィリピンなどのアジア諸国、また他地域から仕事のために移住した人々である。
ラテン典礼で捧げられたこのミサには、東方カトリック教会の豊かな典礼様式をも反映し、カルデア、コプト、メルキト・ギリシャ、マロン、シリア・カトリック、シリア・マラバル、シリア・マランカラなど、様々な典礼の信者たちも参加。
また、4千人のイスラム教徒と、近年創設された寛容担当省の大臣も参列した。
ミサの説教で、イエスの「山上の説教」における「真福八端」(マタイ5,1-12a)を示された教皇は、イエスの教えにおいて、幸いな人々とは、金持ちでも、権力者でも、成功者でもないように、ここでは一般に考えられていることが覆されていると指摘。
イエスにとって幸いな人々とは、貧しく、柔和で、人から良く見られなくても、義を貫き、迫害される人々である、と話された。
また、イエスはご自身の行いを通して、偉大な者とは、所有する者ではなく、与える者であることを教えられた、と述べられた。
教皇は、「キリスト者に要求されるのは、偉大な事業や功績を成し遂げることではない。『真福八端』を生きるための地図としながら、清い心をもって、人々にいつくしみ深く、試練の時も神と一致しながら、わたしたちの人生という、ただ一つの作品を実現させること」と説かれた。
また、教皇は、キリスト者とは、平和の実現のために招かれた者と述べ、その平和への努力をまず自分の置かれた社会・共同体において始めるように呼びかけられた。
祖国を遠く離れて暮らすキリスト教徒の移民たちの、苦しみや未来に対する不安に思いを向けた教皇は、「困難や孤独に苦しむ時も、神は隣を歩いておられ、新しい道を開いてくださる。なぜなら、神は新しいことを得意とされる方であり、砂漠にさえも道を開かれたからである」と述べ、信者らを力強く励まされた。
こうして、アラブ首長国連邦の訪問を終えられた教皇は、同日正午過ぎ、アブダビを後にし、イタリア時間同日夕方、ローマに戻られた。