モロッコ訪問:教皇、ラバトでミサ
教皇フランシスコのは、3月31日、ラバトでのミサをもって、2日間にわたるモロッコ訪問を終えられた。
モロッコ訪問初日に、ムハンマド6世国王をはじめ、同国の各界要人や、イスラム教関係者らとの出会いと対話を持たれた教皇は、訪問2日目はモロッコのカトリック共同体との触れ合いをテーマとされた。
同日午前、女子修道会が運営する農村社会福祉センターを訪問、さらにラバトのカテドラルでカトリック司祭・修道者との集いに出席された教皇は、午後、最後の公式行事として、ラバト市内のスポーツ施設でミサを司式された。
複合スポーツ施設、スタッド・ムーレイ・アブドゥラには、モロッコ全土から、60カ国を出身とする、約1万人の信者たちが詰めかけた。
教皇はスペイン語で行われたミサの説教で、ルカ福音書の放蕩息子のたとえを観想しつつ、キリスト者が進むべき道を示された。
教皇は、このたとえ話の中で、放蕩息子の帰還を喜び、祝祭の準備をする父を前に、怒りと不満を感じ、「わたしのものは全部お前のものだ」(ルカ15,31)という父の言葉にも関わらず、弟の帰りを共に喜ぶことができない兄の態度に注目。
父のこの言葉は、物質的なことだけでなく、自分の愛と憐みに加わるようにとの招きであり、これこそがキリスト教の最も大きな豊かさであり遺産である、と語られた。
教皇は、放蕩息子の帰還を喜ぶ父の愛に参与し、敵意を持たず、兄弟として生きることで、自分たちの共同体をオアシスとすることができる、と話された。
この家の入口ですれ違う、惨めさを体験した息子の帰還を祝う父の愛と、父のその憐みと赦しに一種の裏切りを感じる兄の気持ちの双方を見つめた教皇は、この二つの心の衝突と分裂はわたしたちの社会、共同体、そして自分自身の心の中に見られるもの、と指摘。
イエスはこのたとえ話を通し、父の心を観想するよう招いていると述べた教皇は、その父の心を知ってこそ、わたしたちは互いを兄弟として毎日発見することができる、と説かれた。
こうしてモロッコ訪問におけるすべての公式行事を終了された教皇は、ラバト=サレ空港での送別式の後、ローマに向け特別機で発たれた。