「謙虚さと信頼を持ち、御旨に従う」教皇、日曜正午の集い
教皇フランシスコは、バチカンで10月6日(日)、正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。
この集いは、「アマゾン周辺地域のための特別シノドス(世界代表司教会議)」の開会ミサに続いて行われた。
祈りに先立つ説教で、教皇はこの日の福音朗読箇所、ルカ福音書(17,5-10)のイエスが弟子たちに信仰について語る場面を取り上げられた。
この場面で、弟子たちは「わたしどもの信仰を増してください」(同17,5)とイエスに願い、イエスはこれに対し、「からし種」と「忠実な僕」の比喩を通し、信仰とは何かを教えられた。
イエスは、弟子たちに「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下せ』と言っても、言うことを聞くであろう」(同17,6)と話された。
教皇は、桑の木はしっかりと地に根を張り、風にも強い木であると説明。たとえ小さな信仰でも、それがあれば、桑の木に自らを引き抜かせ、海に根を張らせるという、不可能も可能となるということを、イエスは理解させようとしている、と話された。
信仰を持つ人に不可能はない、なぜなら、自分の力ではなく、万能の神に自らを委ねるからである、と教皇は強調。
からし種ほどの小さな信仰は、その謙虚さによって神に対する大きな必要を感じ、その小ささゆえに神に完全な信頼を持って自らを委ねるのである、と話された。
また、教皇は、イエスは信仰の大きさを「奉仕」によって示している、と述べた。
畑から帰って疲れていても、すぐに主人の命に従って夕食を用意し給仕する僕のように、自分に命じられたことを果たしたら、「わたしは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです」(同17,10)と言いなさい、とイエスは弟子たちに説いている。
教皇はこれについて、イエスは、計算も要求もなく、全身全霊をもって神の御旨に従う、という信仰の態度を教えている、と語られた。
「わたしは取るに足りない僕です」というへりくだりと献身の表現は、教会と、教会において働く者たちにとって、とてもためになる言葉である、と話された教皇は、弟子たちの足を自ら洗われたイエスのように、謙遜な奉仕をと、人々を励まされた。