使徒パウロのエフェソでの宣教をテーマに、教皇一般謁見
教皇フランシスコは、バチカンで12月4日、水曜恒例の一般謁見を行われた。
謁見中、教皇は「使徒言行録」をめぐるカテケーシス(教会の教えの解説)として、使徒聖パウロのエフェソでの宣教を振り返った。
エフェソに行ったパウロは、12人ほどの人々にイエスの名によって洗礼を授けた。それによってこれらの人々の上に聖霊が降り、彼らは新たな者とされた(参照:使徒言行録19,1-7)。
さらに、パウロの手を通して様々な奇跡が行われ、病人は癒され、悪霊に取りつかれた人々は解放された(参照:同19,11-12)。
教皇は、これらのことが起きたのは、弟子は師に似る者となるためであり(参照:ルカ6,40)、パウロは自分自身が主から受けた新しいいのちを兄弟たちに伝えるために、その力を発揮したからである、と述べられた。
エフェソでみなぎる神の力は、精神的権威を持たずに、試みにイエスの名によって悪霊払いをしようとした祈祷師を悪霊に見破らせ(参照:同19,13-17) 、魔術を行っていた者も、キリストを選ぶ人々に見捨てられ、その弱さを露見した(参照:同19,18-19) 。
教皇は、キリスト教信仰と魔術は相いれないものであり、信仰とは神の手に信頼をもって自らを委ねるもの、と話された。
エフェソでの福音の広がりは、アルテミス神殿の模型を造る銀細工師たちの利益を損ねた。銀細工師たちは、パウロに対する蜂起を企て、キリスト教徒たちはアルテミス神殿と女神への威光を失わせるものとして訴えられた(参照:同19,23-28) 。
後、エルサレムに向け出発したパウロは、ミレトスに到着した(参照:同20,1-16) 。
パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せ、人々の司牧を彼らに託した(参照:同20,17-35)。
ミレトスでパウロがエフェソの長老たちへ別れの挨拶を述べる場面を、教皇は使徒言行録の中でも最も美しいページの一つとして紹介された。
もう二度と彼らには会えないと知るパウロは、共同体の責任者たちを励まし、「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください」と頼んだ。
教皇は、まさに「群れに気を配る」ことこそが、主任司祭、司教、教皇、すべての司牧者の仕事であると強調。
パウロが特に群れの「監督者=司教」たちに対し、神が御子の血によってご自分のものとされた神の教会の世話をし、群れを荒らす残忍な「狼」からそれを守るように(参照:同20,28-29)、最大の配慮を求めている点を指摘された。
この使命をエフェソの長老たちに託したパウロは、「神とその恵みの言葉」に彼らを委ね(同20,32)、パウロ自身のように、自分の生活のためにも、共にいる人々のためにも、自分の手で働き、弱い者を助け、「受けるよりは与える方が幸いである」という言葉を身をもって体験するように招いた(同20,35)。
教皇は、信仰を守り育む教会への愛を新たにすると共に、司牧者たちが神なる牧者の強さと優しさを示すことができるよう祈りで支えることで、すべての人が群れを守る共同責任者となれるようにと、祈られた。