「神から愛された者は、愛するようにと招かれる」教皇、バーリでミサ
教皇フランシスコは、2月23日、訪問先イタリア南部バーリの市内でミサを司式された。
教皇は、地中海地域の司教たちの集い(テーマ:「地中海、平和の前線」)に出席するために、同地を訪れていた。
バーリの湾岸部と中心街を結ぶ大通りと県庁前広場を会場に行われたミサには、およそ4万人の市民が詰めかけた。教皇は特別車「パパモービル」から、歓迎する沿道の人々に祝福をおくられた。
ミサの説教で教皇は、この日の福音朗読箇所、マタイ福音書(5,38-48)の「敵を愛しなさい」というイエスの教えを観想された。
イエスは、「目には目を、歯には歯を」(参照:出エジプト21,24)と命じる古い掟に触れながら、「しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。誰かがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」と説いている(マタイ5,38-39)。
教皇は、「『いったい、どういうことだ。誰かが自分にひどいことをしたならば、同じ目に合わせてはいけないのか』と人は考えるだろうが、イエスは、『暴力はいけない。一切の暴力はいけない』と言っておられる」と話された。
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(同5,44)とイエスは教える。
なぜ敵を愛するように命じるのか。これに対し、教皇は、「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである」(同5,45)というイエスご自身の答えを示された。
「神から愛されたわたしたちは、愛するようにと招かれている。赦された者から、赦す者に、愛に触れられた者から、愛を与える者に、無償で救われた者から、無償で善を行う者になるようにと招かれている」と教皇は語り、「キリストの弟子になりたいならば、これがその道であり、他の道はない」と説かれた。
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈る」、これはキリスト教の新しさ、キリスト教が持つ違いである、と教皇は強調。
「自分を愛してくれる人や、友人、同じ民族だけでなく、そうでない人々も愛すること。なぜならイエスの愛には壁も限界もなく、主は計算なく愛するようにとわたしたちを招いておられる」と話された。
こうした目標は、人間には不可能に思われるが、神に愛することの恵み、赦すことの教えを願うことが大切と教皇は述べ、神に「わたしひとりではできません。あなたの力が必要です」と祈ることが重要、と説かれた。
「それが犠牲を伴うことでも、世の流れに反することであっても、今日、愛することを選びましょう。イエスの愛の挑戦を受け入れましょう。そうするならば、わたしたちは真のキリスト者となり、世界はより人間性に満ちたものになるでしょう」と、教皇は信者たちに呼びかけられた。