「絆を育て、共に危機を乗り越えよう」教皇、スコラス・オクレンテスの集いに

教皇フランシスコは、「スコラス・オクレンテス」のビデオ・ミーティングにメッセージをおくられた。

教皇フランシスコは、「スコラス・オクレンテス」のオンライン・ミーティングに、ビデオを通し、メッセージをおくられた。

「スコラス・オクレンテス」(「出会いの学校」の意)は、教皇がブエノスアイレス大司教であった時から推進してきた教育運動。その活動は、青少年に様々な教育の機会を提供し、出会いと対話、異なる存在への尊重を育むことを目的としている。

現在、教皇庁立基金としてローマに本部を行く「スコラス・オクレンテス」は、アルゼンチン、コロンビア、ハイチ、メキシコ、パナマ、パラグアイ、スペイン、イタリア、ポルトガル、ルーマニア、モザンビークに拠点を持つほか、世界190ヵ国の多様な教育機関とのネットワークを築いている。

「スコラス・オクレンテス」は、現在のパンデミック危機の下、世界の教育者や若者たちによるビデオを通したオンライン交流をこれまでに行っている。

6月5日(金)、「世界環境の日」に開かれた「スコラス・オクレンテス」のオンライン・ミーティングにおいて、教皇は参加者に宛て、スペイン語でビデオメッセージをおくられた。

この中で教皇は、「スコラス・オクレンテス」が、今や友人・兄弟姉妹たちの「共同体」と呼べるまで成長したことに大きな喜びを表された。

教皇は、二人の教師が直感と大胆な発想をもって計画なしで始めた活動が、次第に前進していった、その創始時を思い起こされた。

当時の危機が社会に暴力をはびこらせた時代、教育は意味や美しさを生みながら、若者たちを再び一致させた、と教皇は振り返った。

教皇はご自身にとって忘れがたい3つのイメージとして、フェデリコ・フェッリーニ監督の映画「道」に登場するサーカス芸人「イル・マット」、カラバッジョの絵画「マタイの召し出し」、ドストエフスキーの「白痴」を挙げられた。

「意味」「召命」「美しさ」とそれぞれ結びつくこの3つのイメージは、ここ3年間の「スコラス・オクレンテス」の出会いと考察のテーマでもあったと紹介された。

「危機」とは、本来「壊れ」「切れ目」「開放」「危険」などを意味するほか、「機会」をも意味する、と教皇は述べ、植物の根が育つためにより多くのスペースを必要とし、やがては鉢を壊すのと同様、人生は生活そのものよりも大きいので、そこに亀裂が入る、人生とは成長と破壊を伴うもの、危機のない、眠り込んだような人類はむしろ健全でない、と語られた。

一方で、危機はわたしたちに自分を開くように促すもの、と教皇は話し、個人の殻に閉じこもらず、互いに絆を育て、共に危機を乗り切る必要を説かれた。

危機の中で生まれた「スコラス・オクレンテス」は、文化に対抗して拳を振り上げることもなければ、あきらめて両手を垂れることもなく、若者の心に耳を傾け、社会の隙間から、顔だけでなく体全体を出して、外の世界を眺め、別の解答をそこに探し求めようとした、と教皇は回想。

「耳を傾けなければ、教育ではない。文化を創らなければ、教育ではない。記念すること・祝うことを教えなければ、教育ではない」と述べつつ、耳を傾け、創造し、人生を祝いながら、「頭と心と手を調和させる」スコラスの教育活動の特徴を強調された。

「スコラス・オクレンテス」の様々な出会いの中で、教皇は、日本とコロンビアの教師や生徒たちが共に踊るのを見、ハイチとドバイの生徒が共に考え、モザンビークとポルトガルの子どもたちが一緒に絵を描くのを見た、と語り、出会いの文化を創造するその活動を喜ばれた。

教皇は「スコラス・オクレンテス」に、教育する共同体、成長する共同体として、様々な物事の「意味」を追求することを若者たちに教えて欲しい、と願われた。

また、「根」や「歴史」のないところに成長はない、と述べた教皇は、子どもや若者たちの夢を大人やお年寄りの夢と出会わせる必要を指摘された。

教育とは人生を教えること、そこでは、すべての言語や宗教を超え、誰も排除されることがあってはならない、とも話された。

無償性、意味、美しさ、これらを追求することが、たとえ今の社会では無用と思われても、全人類とその未来はそこにかかっている、と教皇は説かれた。

教皇は、微笑みと、リスクを負う勇気を共にもって、種を蒔き、刈り取りながら、皆で手を取り合うことで、あらゆる危機を乗り越えていって欲しい、と関係者らを励まされた。

05 6月 2020, 17:50