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ゲオルグ・ラッツィンガー師 ゲオルグ・ラッツィンガー師 

ゲオルグ・ラッツィンガー師死去、ベネディクト16世の兄

名誉教皇ベネディクト16世の兄、ゲオルグ・ラッツィンガー師(96)は、ドイツ・レーゲンスブルクで帰天した。

名誉教皇ベネディクト16世の兄、ゲオルグ・ラッツィンガー師(96)は、7月1日、ドイツ・レーゲンスブルクで帰天した。96歳であった。

ベネディクト16世は、先月18日、兄ゲオルグ師の病状悪化に伴い、見舞いのため、緊急にレーゲンスブルクを訪問、同月22日まで現地に滞在された。

レーゲンスブルク教区の発表によれば、名誉教皇は同地滞在中、ゲオルグ師を数回にわたり見舞い、共にミサを捧げることができた。

3歳年上の兄ゲオルグ師と幼少から固い絆で結ばれたベネディクト16世は、1951年6月29日、フライジング大聖堂で兄弟共に司祭に叙階されている。

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ゲオルグ・ラッツィンガー師は、1924年1月15日、バイエルン州のプライスキルヒェンに生まれた。11歳の時から、小教区の教会でオルガンを弾き始めた。1935年、トラウンシュタインの小神学校に入ったが、1942年、国家労働奉仕団に徴員、その後、ドイツ国防軍に徴兵された。1945年、連合軍の捕虜となり、ナポリに数か月収容された後、解放された。1947年、弟ヨゼフと共に、ミュンヘンのヘルツォークリッヒェス・ゲオルジャーヌム神学院に入り、1951年6月29日、兄弟揃って、他の40人ほどの仲間と共にフライジング大聖堂で、ミヒャエル・フォン・ファウルハーバー枢機卿により、司祭に叙階された。

トラウンシュタインの聖歌隊の指揮者となった後、1964年から1994年まで30年間にわたりレーゲンスブルク大聖堂の聖歌隊の指揮者を務めた。

世界各地をコンサートのために訪問。バッハ、モーツァルト、メンデルスゾーンなど多くの作曲家の作品の録音を監修した。

2008年8月22日、ゲオルグ師がカステル・ガンドルフォ市から名誉市民号を贈られた際、ベネディクト16世は市長への感謝の挨拶で次のように述べた。

「わたしが小さな時から、兄はわたしにとって同志であるだけでなく、信頼のおける導き手でもありました。わたしに、方向性と拠り所をはっきりと、決然とした選択をもって示してくれました。困難な状況の時も、わたしに取るべき道をいつも示してくれました。」

 一方、ゲオルグ師は、11年前のインタビューで次のように語った。

「弟とわたしは二人揃って、ミサに侍者として奉仕していました。早くから、まずわたしが、次に弟が、自分たちの人生は教会に奉仕することにあると、はっきり意識しました。」

また、ゲオルグ師は少年時代の思い出を次のようにも話している。

「ティットモニングで、ヨゼフは、ミュンヘンの偉大な大司教、ミヒャエル・フォン・ファウルハーバー枢機卿から堅信の秘跡を授かりました。その体験に深い感銘を受けた彼は、自分も枢機卿になりたい、と言いました。しかし、それから何日もたたないうちに、彼は家の壁を塗っていた職人さんをじっと観察しながら、大きくなったら壁塗り職人になりたいと言いました。」

 ゲオルグ師は戦争中の暗い時代と、ナチズムに反対していた彼らの父親を思い起した後、家族が共有していた音楽への愛について語った。

「わたしたちの家では、皆が音楽を愛していました。父はよく夜にチェトラを弾いていました。わたしたちは声を合わせ歌っていました。それはわたしたちにとっていつも特別なひと時でした。マルクトル・アム・インには楽隊がいて、わたしはそれにすっかり魅了されました。わたしはいつも、音楽は神がお創りになった中でも最も美しいものの一つと考えていました。弟もいつも音楽を愛していましたが、たぶんわたしの影響なのでしょう。」

  ゲオルグ・ラッツィンガー師は、率直な人となりで知られ、例えば、2005年4月、弟が教皇に選出された時も、その結果に抱く思いを包み隠さず語っている。

「正直言って、このような結果になるとは思っていませんでした。自分としては少し気落ちしました。教皇としての重大な責務を思えば、わたしたちの交流もかなり縮小されるでしょう。しかし、いずれにしても、枢機卿の方々の人間的な判断の背後には、神の御旨があります。これをわたしたちは受け入れなくてはなりません。」

また、2011年、ドイツのある雑誌のインタビューで、ゲオルグ師はこのように述べている。

「体力的にこれ以上は無理であるところまで来たら、弟は引退する勇気を持っているはずです。」

そして、ベネディクト16世の高齢を理由とする歴史的な引退宣言がなされる数か月前、ゲオルグ師は、その決意を聞いた人々の一人となった。

2013年2月のベネディクト16世の引退宣言の後、ゲオルグ師はこう述べた。

「彼は高齢を感じています。弟は晩年にせめてもの平安を望んでいます。」

ゲオルグ師は目と脚の不自由をおして、レーゲンスブルクとローマを往復し、ベネディクト16世が引退後に生活するマーテル・エクレジエ修道院をしばしば訪ねていた。

01 7月 2020, 14:11