ローマのカンピドリオで諸宗教指導者らによる平和の集い
ローマのカンピドリオで、10月20日、諸宗教指導者らによる平和の集いが行われた。
この集いは、1986年、聖教皇ヨハネ・パウロ2世が招集したアッシジでの平和祈祷集会の精神にのっとり、平和のために祈り、諸宗教間の対話を促進するために、聖エジディオ共同体が毎年開催地を変えながら行っているもの。
今年の集会は、「誰も一人では救われない‐平和と兄弟愛」をテーマに、ローマの中心地、市庁舎のあるカンピドリオの広場で開催された。
この集いには、教皇フランシスコをはじめ、エキュメニカル総主教府のバルトロメオス総主教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、ヒンズー教など、諸宗教の指導者が参加した。
教皇は、同日午後、このカンピドリオ広場での集いに先立ち、隣接するサンタ・マリア・イン・アラチェリ教会で、キリスト教諸教会の関係者と、エキュメニカルな祈りをとり行われた。
この後、広場で行われた平和の集いでは、主催者・聖エジディオ共同体の創立者アンドレア・リカルディ氏や、イタリアのセルジョ・マッタレッラ大統領の挨拶に次いで、バルトロメオス総主教のスピーチや、アル=アズハルのグランド・イマーム、アフマド・アル・タイーブ師からのメッセージの朗読など、諸宗教代表者らの言葉が続いた。
日本から参加した曹洞宗の峯岸正典師は、死刑囚であった歌人、島秋人の短歌を引用しながら、善悪の両面を持ちうる人間存在を見つめ、人間が戦いを起こすのだとすれば、平和を築くこともまた人間にできるはずである、とスピーチの中で話した。
諸宗教代表らによるスピーチの最後に言葉を述べられた教皇は、「平和は一人では築けない」と、人類の兄弟愛の必要を説かれた。
平和の展望における預言的な種は、様々な出会いや平和的行為、兄弟愛的な新しい思考と共に、一歩一歩、成長を続けてきた、と教皇は述べ、時には宗教の名のもとに起こされた、紛争・テロ・原理主義など、ここ数年の痛ましい出来事を思い起こす一方で、諸宗教間対話がもたらしてきた実り多き歩みをも認めるべき、と話された。
教皇は、こうした対話の進展を、諸宗教関係者らが兄弟として共に働くことを励ますしるしとして受け取る中で、2019年、共同文書「世界平和と共存のための人類の兄弟愛」に、アフマド・アル・タイーブ師と一緒に署名したことを、重要な出来事として振り返った。
「平和の掟は、宗教の伝統の根底に記されている」と話す教皇は、宗教の違いは、無関心や敵対を正当化するものではなく、むしろ、「宗教的信仰を源として平和の築き手となることができる」「宗教とは平和と兄弟愛に奉仕するもの」と強調された。
教皇は「平和はすべての政策の優先課題」であり、平和を求めず、人々を傷つける緊張や争いを生んだ者たちに、神は償いを求めるだろう、と話された。
そして、イエスが、その受難の前に人々がご自身を捕らえに来た時、剣で打ちかかった弟子に、「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」と言われた言葉を教皇は示しながら、そのイエスの言葉は、剣や、武器を手放し、暴力、戦争をやめるようにと、今日も響いている、と語られた。
「いかなる人民も、いかなる社会集団も、自分たちだけで平和や善、安全や幸福を得ることはできない」と教皇は述べ、現在のパンデミックが教えたのは「世界共同体は共に乗り合わせた一つの船であるという自覚」であり、「誰も一人では救われず、ただ皆が一緒でのみ救われる」ということ、と説かれた。
教皇は「兄弟愛はただ一つの人類という意識からわき出でる」ことを念頭に、皆が共にあってこそ救われるという認識を、出会いや和平、停戦や和解を通して育みながら、平和のための具体的な道のりを切り開いていこう、と呼びかけられた。