教皇「みことばは、神からわたしたちへの愛の手紙」
1月24日、カトリック教会の暦で「神のみことばの主日」が記念された。
典礼暦の年間第3主日に記念される「神のみことばの主日」は、聖書に熱心に親しみ、その理解と継承を通して、神のことばを生き生きと保つことを目的とするもの。教皇フランシスコが、2019年9月30日、「ブルガタ訳」として知られるラテン語訳聖書の翻訳者、聖ヒエロニモ(347頃-420)の日に、同聖人の帰天1600年記念を前に制定された。今年のテーマは、「いのちのことばをしっかり保つ」(参照:フィリピ2,16)。
同日午前、教皇は、「神のみことばの主日」のミサをバチカンの聖ペトロ大聖堂で捧げる予定であったが、坐骨神経痛のため、ミサの司式を教皇庁新福音化推進評議会議長サルバトーレ・フィジケッラ大司教に託された。
ミサの中では、教皇が準備した説教が、フィジケッラ大司教によって読み上げられた。
教皇は説教で、この日の福音朗読箇所(マルコ福音書1,14-20)の「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(同1,15)という言葉を取り上げながら、そのメッセージの本質は何か、それは誰に向けられているのか、という二つの点から考察されている。
イエスはこの言葉を通し何を言おうとしているのか、それは「神は近くにおられる」ということである、と教皇は述べている。
神は、人間界とはまったく離れた、遠い存在ではなく、わたしたちと一緒におられる方であり、イエスの受肉と共に、神と人の距離はこれまでになく近くなった、と教皇は記し、「神は近くにおられる」ということこそ、イエスのメッセージの中心であると説かれた。
神のみことばは、わたしたちにこの神の近さに触れることを可能にし、わたしたちは独りではなく、神にとって大切で愛された存在であることを思い出させる、と教皇は指摘している。
一方で、教皇は、イエスが「神の国は近づいた」と宣言した後で、「悔い改めて福音を信じなさい」と呼びかけているように、神のみことばは、わたしたちを平和と慰めで満たすと同時に、自分本位に閉じた考え方を捨て、神に立ち返り、近くにおられる神の名のもとに他者と出会い、希望の種を蒔くよう招いている、と記された。
では、これらのイエスの言葉は、誰に向けられているのだろうか。教皇は、最初この言葉はガリラヤの漁師たちに向けられたが、彼らは自分の手でその日の糧を得る素朴な人たちであり、様々な民族や宗教の人によって構成されたその地方は、エルサレムの宗教的純粋性から最も離れた場所であった、と説明された。
しかし、イエスがその辺境から宣教を始められたように、神の心の中では誰一人片隅に置かれた者はいない、と教皇は述べ、すべての人・すべての場所に及ぶ神のみことばの普遍性を強調された。
また、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」というイエスの召し出しの言葉が弟子たちの胸に深く刻まれ、彼らに特別な力を与え続けたように、神はそのみことばによって、わたしたちが変わることを望んでおられる、と教皇は記した。
神のみことばは、神からわたしたちに宛てられた愛の手紙であり、それを読むことで神の声と御顔と霊を感じることができるだろう、と教皇は述べ、福音書を常に持ち歩く、あるいは手元に置くことで、近くにおられる神を感じ、そこから人生の歩みに勇気を得るようにと招かれた。