聖アルフォンソ・マリア・デ・リゴリ司教教会博士 聖アルフォンソ・マリア・デ・リゴリ司教教会博士 

聖アルフォンソ・デ・リゴリの教会博士宣言から150年

聖アルフォンソ・マリア・デ・リゴリが教会博士として宣言されてから150年を記念し、教皇フランシスコはメッセージをおくられた。

 聖アルフォンソ・マリア・デ・リゴリが教会博士として宣言されてから150年を迎えた。

 教皇フランシスコはこの記念に、同聖人が創立した修道会、レデンプトール会の総長に宛てメッセージをおくられた。

 聖アルフォンソ・マリア・デ・リゴリ司教・教会博士(1696-1787)は、イタリア・ナポリに生まれた。教育と学識に恵まれた彼は、若くして弁護士となったが、ある裁判において正義をめぐり大きな失望を味わったことが、世俗を離れ、神に自らを奉献するという自身の真の召命に目覚めるきっかけとなった。

 1726年、司祭に叙階された彼は、当初ナポリの街の最も貧しい地区の人々と交わり、説教や要理教育を行っていた。しかし、ナポリ王国内の辺境地の住民のより厳しい生活と司牧の欠如を知った彼は、これらの貧しく疎外された人々の救霊のために修道会を創立。当時の政治・社会状況から来る困難と闘いながらも、宣教と奉仕に尽力した。

 1762年、教皇クレメンス13世は、アルフォンソ神父の固辞にも関わらず、彼をサンタガタ・デ・ゴーティの司教に任命した。以来、彼は1775年に健康上の理由で引退を認められるまで、司教として、教区民の霊的生活はもとより、貧しい人々への奉仕のために邁進した。

 優れた倫理神学者として多くの重要な著作を残したほか、音楽の素養に基づき、”Tu scendi dalle stelle”(あなたは星から降りてくる)などの聖歌を作曲した。

 アルフォンソ・マリア・デ・リゴリ司教は、1787年、現在のイタリア・カンパニア州パガーニ(ナポリ王国当時のノチェーラ・パガーニ)で帰天した。1816年、列福、1839年、列聖された。

 聖アルフォンソは、1871年3月23日、教皇ピオ9世によって、教会博士として宣言された。また、教皇ピオ12世は、1950年、同聖人を、すべての聴罪司祭と倫理学者の保護者として宣言した。

 教皇フランシスコは、聖アルフォンソの教会博士宣言から150年を記念するメッセージで、聴罪司祭と倫理学者の保護者、外へと向かう宣教的教会のモデルである同聖人の教えは、受容的な御父の御顔に人々の良心を近づけるための正道を今も力強く示している、と述べられた。

 聖アルフォンソの神学は、霊的に最も見捨てられた人々に耳を傾け、その弱さを受け入れることから生まれた、と教皇は記し、厳格主義的なメンタリティーの中で育った彼は、現実に接することを通して「優しさ」へと回心していった、と振り返った。

 社会の片隅の人々に宣教し、辺境の人々と出会い、告解に耳を傾け、レデンプトール会を創立・指導し、司教としての責任を負った、こうしたすべての体験が、聖アルフォンソをいつくしみの父・師に成長させた、と教皇は述べた。

 また、聖アルフォンソが、当時の社会の最も底辺の、弱い、見捨てられた立場の人々に寄り添い、貧しい人をはじめ、すべての人の権利を守ったことを強調された。

 教皇は、倫理神学の刷新者である聖アルフォンソに倣い、霊的な助けを最も欠く人々に寄り添い、支える必要がある、と述べつつ、福音のラディカル性と人間のもろさを対立させることなく、人々の心を神から遠ざけずに、むしろ近づける道を、常に探求するよう招いた。

 パンデミックの現在と、その後の就労問題、すべての人に対するケアの保証、いのちの保護、人工知能がもたらす影響、環境保護、民主主義に対する脅威、兄弟愛を育むことの急務など、今日の社会の多くの課題を教皇は示しながら、福音宣教の取り組みにおいて、貧しい人々の叫びと大地の叫びを切り離すことがないようにと願われた。

 人間のもろさに対し、使徒的、倫理的、霊的な答えを追求するために、あらゆる文化のすべての要求に建設的な対話をもって臨んでほしいと、教皇はレデンプトール会関係者らを励まされた。

23 3月 2021, 15:14