使徒パウロ:恵みにより迫害者から宣教者に、教皇一般謁見
教皇フランシスコは、6月30日、バチカンの聖ダマソの中庭で、水曜日恒例の一般謁見を行われた。
教皇は先週より、謁見中のカテケーシスで聖パウロの「ガラテヤの信徒への手紙」の考察を始められた。この日は、「真の使徒パウロ」をテーマに話された。
「ガラテヤの信徒への手紙」からは、自らが創立したガラテヤの信仰の共同体が正しく歩むようにとの、パウロの父としての心配が浮かび上がるが、この手紙の目的は、パウロの説教を通しガラテヤの信者たちが受け取った福音の新しさを改めて強調することにあった、と教皇は述べた。
教皇は、パウロが同書簡の始めの部分で、自身の召命と回心を語りながら、ガラテヤの信者に彼が使徒であるのは自分の功績ではなく、神からの召し出しであることを説明していることに注目。
実際、パウロは、「わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました」(ガラテヤ1,13-14)と記し、誰よりも熱心な真のファリサイ派であったことを明言している。
しかし、パウロは、このように教会の容赦ない迫害者であった過去をあえて語る一方で、自分を根本から変容させた神のいつくしみを強調、彼のこの回心について、ユダヤの諸教会の人々から「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」(参照 ガラテヤ1,22-23)とまで言われていることを記している。
キリスト教徒を迫害する者から、キリストの福音を告げる者へ、という驚くべきコントラストを通して、パウロは自身の召命の真実を明らかにしたが、このパウロの姿に教皇は、今やパウロは解放され、キリストの福音を告げ知らせることにも、自分の罪を告白することにも自由になった、と話された。
教皇は、驚嘆すべき出来事と感謝に満ちたパウロの物語は、ガラテヤの信者たちに、使徒になるなどあり得なかった人間が、神の恵みによって異教徒に福音を宣べ伝える者となった、その召命を強調するもの、と考察された。
主の道はなんと予測不可能なものだろうか、と述べた教皇は、「神がわたしたちの人生に入って来られたその時とその方法を決して忘れてはならない。神がわたしたちの人生を変えたその出会いを心にしっかり留めるべき」と語った。
主の偉大な業を前にして、「なぜ神はみ旨の実現のために、罪びとや弱い人間を用いられるのか」と驚くことがよくあるが、それは偶然ではなく、ご計画に基づくものであり、神の救いのご計画に信頼をもって答える時のみ、それに気づくことができるだろう、と教皇は話された。
召命はそれぞれに合った使命をもたらすが、召命に答えるには、これは神ご自身が招き支えるものであるとの認識のうちに、真剣な心構えが必要と教皇は話し、神の恵みは自分のあり方を変容し、福音への奉仕にふさわしいものへと変えてくれる、ということを忘れずに、神の招きに導かれていこう、と皆を励まされた。