教皇、キプロスでミサ「福音を喜びをもって証ししよう」
教皇フランシスコは、12月3日(金)、キプロスの首都ニコシアでミサを捧げられた。
教皇のキプロス訪問2日目も、現地は明るい日差しに恵まれた。ミサの会場となったGSPスタジアムには、およそ1万人の信者が集った。
ミサはラテン典礼でとり行われ、朗読はギリシャ語、信徒の祈りは英語・イタリア語・タガログ語・アラビア語なども交えて行われた。
教皇は説教で、イエスが二人の目の不自由な人をいやすエピソード(マタイ9,27-31)を取り上げ、その中にイエスに対する信頼、共に歩む姿勢、喜びに満ちた証しの大切さを読み取られた。
このエピソードで、二人の目の不自由な人は、「ダビデの子よ、わたしたちを憐んでください」と言いながらイエスについて来た(同9,27)。
なぜ彼らはイエスに信頼したのか。彼らはイエスこそが心と世の暗さを照らし、あらゆる闇に打ち勝つ光だと直感したからである、と教皇は話した。
わたしたちも皆、心に闇を抱えているが、わたしたちが最初にすべきことは、この二人のように、イエスのところに行き、信頼をもっていやしを願うことである、と教皇は述べ、イエスだけがすべての人を照らす真の光であり、イエスだけが人に光と温かさと愛を与え、心の闇から解放することができる、と話された。
また、教皇は、このエピソードで二人の目の不自由な人が共に行動していることに注目。彼らは置かれた状態とその苦しみを分かち合い、共に光を求めてイエスについて行き、共に叫んでいやしを願っている、と指摘された。
特に「わたしたちを憐んでください」という叫びは重要であり、それぞれが「わたし」の、すなわち自分だけのいやしを願うのではなく、「わたしたち」のいやしを求めているのは意味のあること、と教皇は話された。
そして、個人主義から抜け出し、「わたしたち」として考え、話し、行動すること、これこそが教会の精神である、と強調された。
イエスは二人の目に触り、二人は目が見えるようになった(参照 同9,29-30)。イエスが「このことは、だれにも知らせてはいけない」と彼らに命じたにも関わらず、「二人は外に出ると、その地方一帯にイエスのことを言い広めた」(参照 同9,30-31)。
教皇は、このエピソードからわかることは、二人は主に対し不従順だったのではなく、いやされたことへの感動と喜びを抑えきれなかったからである、と話された。
福音の喜びとは抑えきれずに心からあふれ出るもの、と述べた教皇は、福音書のこの二人のように、わたしたちもイエスとの出会いを新たにし、勇気をもって自分自身から抜け出し、出会う人たちに福音を喜びをもって証ししよう、とキプロスの信者たちを招かれた。