「希望を追う勇気を」教皇、ギリシャの若者たちに
教皇フランシスコは、12月6日(月)、ギリシャ訪問の最終日を迎えられた。
同日朝、教皇はアテネ市内のカトリック学校の体育館で、同国の若者たちとの集いを持たれた。
歌や演奏、伝統舞踏に彩られたこの集いでは、二人の若い女性信者が信仰を再発見するまでのそれぞれの歩みを振り返り、一人のシリア人の青年は内戦下の恐怖と試練に満ちた難民生活を支えた信仰と家族の絆を語った。
教皇は、ギリシャを象徴する青と白を基調とした舞台から、若者たちのストーリーに耳を傾けられ、参加者たちに励ましの言葉をおくられた。
世の中の悪や不正がなぜなくならないのか、信仰のない人の方が楽しそうに見える、などの思いから信仰に疑問を抱いたが、パンデミックの中、自分と向き合い、聖書を読む中で信仰を再び取り戻した、という女性の体験に、教皇は「疑問は信仰のビタミンです」と話された。
信仰は守るべき規則の総体でも、論理や道徳でもない。信仰の本質は、わたしたちがどんな時でも神から愛され、見守られていると、驚きをもって知ること、と教皇は説かれた。
神はわたしたちを愛し、わたしたちの命を良いものと見られ、それを決して後悔することがない、と述べた教皇は、自分を鏡の前に立たせると、好きでない部分ばかりが気になるが、神の前に立てば、その見方は完全に変わるだろう、と語られた。
また、ストレスや忙しさ、様々な感情の中で、信仰を見失ったが、「人生は奉仕である」ことを示してくれた一人のシスターのおかげで、自分も他者に奉仕することを通して、信仰に立ち返った、という女性の体験に、教皇は「奉仕は、喜びへの道」、「人に奉仕できる人は、敗者ではなく、勝者」であると話された。
教皇は、若者たちに、バーチャルな世界での出会いに満足せず、現実の人々との触れ合い、特に自分を必要とする人との出会いを持つことを望まれた。
今日の多くの人は、「ソーシャルメディア」に没頭する反面、現実の社会との関わりが希薄である、と教皇は指摘しつつ、自分の中に閉じこもらず、他者と共にいて、新しい発見をすることは素晴らしいこと、と語った。
内戦下の故郷を家族と共に脱出し、幾多の試練を経て、今新しい生活の中で勉学に励むシリアの青年の体験に、教皇は胸を打たれたと述べ、その苦難の歩みにホメロスの「オデュッセイア」の、父オデュッセウスの行方を求めて船出する若きテレマコスの旅を重ねられた。
人生とは、海辺で風が便りを運んで来るのを待つことではない、と教皇は話し、救いは沖に出ること、逆風や嵐と戦いながらも、真の夢を追うことにある、と述べられた。
テレマコスの場合のように引き止める声があっても、「諦めなさい、無駄なことだ」と囁く、夢や希望を消そうとする力に負けてはならない、と話された。
「希望を追う勇気を育てよう」と述べた教皇は、皆さんを愛する神の助けのもと、勇気と共に皆で進もう、と若者たちに励ましを与えられた。