大晦日:バチカンで夕べの祈りと感謝の「テ・デウム」

2021年の大晦日を迎え、バチカンの聖ペトロ大聖堂で行われた夕べの祈りで、過ぎた一年を神に感謝し、賛歌「テ・デウム」が捧げられた。

 2021年の大晦日、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、翌日祝う「神の母マリア」の祭日の前晩の祈り(第一晩課)がとり行われた。

 教皇フランシスコの参加のもと、枢機卿会首席、ジャン・バッティスタ・レ枢機卿によって司式されたこの晩課では、過ぎた一年を神に感謝し、賛歌「テ・デウム」が捧げられると共に、聖体降福式がとり行われた。

 聖歌の調べに彩られたこの集いで、教皇は説教を行われ、降誕祭に続くこの日々、神の御子の受肉の神秘に対する驚きを新たにするよう招かれた。

 降誕祭が心に引き起こすもの、それは驚きと観想である、と教皇は述べ、天使から輝く光のもとに救い主の誕生の知らせを受けベツレヘムで幼子を探し当てた羊飼いたちの驚き、天使が話したことを羊飼いから聞いたマリアとヨセフの驚き、これらの驚きを自分たちのものとするように説かれた。

 その驚きの中心にあるもの、それは「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハネ1,14)ということである、と教皇は強調。神の御母マリアは、その驚きを最初に最も大きな形で体験した方であると同時に最も謙遜な方である、と話された。

 聖母は、主の降誕の真実、神は「その御子を女から」(ガラテヤ4,4)お遣わしになった、という真実にわたしたちを連れ戻す、と述べた教皇は、キリスト教の神秘は、母が腕に抱く乳飲み子という現実からあふれ出る神秘である、と語られた。

 マリアの驚き、教会の驚き、それは感謝に満ちたものである、と教皇は指摘。多くの問題、困難や、心配があっても、神はわたしたちを罪の隷属から解放し、子としての尊厳を取り戻させるために「御子をお遣わしになった」(参照 ガラテヤ4,4)、マリアは御子を見つめながら「わたしたちと共におられる神」を感じていた、と話された。

 パンデミック危機によって最初人々は戸惑い、その後、連帯感が生まれる一方で、自分だけが救われればいい、という傾向も広がりだした、と教皇は振り返りつつ、それでも今、再び人々が新たな責任感を取り戻したことは、まさに神に感謝すべきこと、と述べられた

 実際、人々の責任ある連帯は、すべての人は神の子として兄弟姉妹であるという、人類の根源的な召命から来るものという意味で、この召命を人類の歴史に刻んだ神に、イエスに、感謝しなくてはならない、と教皇は話した。

 神の母であると共に教会の母であるマリアは、御子を「道」として示し、信頼して従うようにと招いている、と述べた教皇は、日常生活の歩みの中でイエスに信頼をもって従おう、と呼びかけられた。

 そして、喜びの時も悲しみの時も、わたしたちはイエスに信頼する、なぜならイエスが与える希望は朽ちない希望だからである、と説かれた。

31 12月 2021, 20:33