教皇、マルタからの帰国便機内で記者団と対話
教皇フランシスコは、4月3日、マルタ共和国司牧訪問からの帰国便機内で随行の記者団と対話された。
対話は、マルタ訪問、そしてウクライナ関連事項が中心テーマとなった。
まず、ご自身の体調について尋ねられた教皇は、「体調は多少気まぐれだが、特に膝の問題が歩く時にやっかいである。二週間前は何もできなかったことに比べれば、行けるだけでも、良くなっている」と語った。
マルタ訪問で印象に残ったことについて、教皇は、「今回マルタを訪れ、同国の現実をこの目で見ることができてよかったと思う。ゴゾ島や、マルタ島のバレッタや他の場所でも行く先々で見た人々の歓迎は驚くべきものだった」と述べた。
教皇はもう一つの印象に残ったこととして移民問題を挙げ、「移民問題は、ギリシャ、キプロス、マルタ、イタリア、スペインら、アフリカと中東に近い国々で深刻だ。問題は、各政府は移民をどれだけ受け入れられるかを言うべきであるということだ。そのためにはヨーロッパ諸国の合意が必要だ」と述べ、「マルタをはじめ、寛大な沿岸の国々に負担をかけるばかりではいけない」と話した。
「今日、移民の受け入れ施設を訪問したが、移民たちのそこに到着するまでの苦しみや、送り返された際のリビア海岸の収容所の話など、そこで聞いたことは恐ろしいものだった。これは犯罪的なことではないだろうか。これは皆の心に訴える問題だと思う。ヨーロッパが、扉を叩くウクライナの人々に寛大さをもって行うことは、地中海から来る他の人々にも言えること」と教皇は語った。
前日マルタ行きの機内で教皇がキエフ訪問について「検討の対象」と言ったことに関連して、ポーランド大統領が同国のウクライナ国境への訪問を教皇に打診したそうだが、との質問があった。これに対し教皇は、「わたしはすべきことは何でもするつもりでいる。教皇庁は、特に外交面で、国務長官パロリン枢機卿と外務局長ギャラガー大司教を通し、最大限の努力をしている」と答えた。
教皇は「可能な訪問は2つある」として、その一つは教皇慈善活動室のクライェフスキ枢機卿がポーランドに避難しているウクライナ人を訪問すること、と述べた。同枢機卿はすでに2台の救急車を寄贈するために2回ウクライナに行ったが、再度行く準備はある、と話した。
もう一つの教皇がポーランドの国境を訪問する可能性について、「正直に言って、考えたことはある。いつでも行く意志はある。ノーと言う言葉はない」と述べた。
また、教皇は、モスクワ総主教キリル1世との会見のために調整が行われており、中東でそれを行うことが考えられている、と明らかにした。
戦争開始後、プーチン大統領と話したか、という問いに、教皇は、「ロシアの大統領とは、年末、時候のお祝いの挨拶の電話をもらった時に話した。ウクライナの大統領とは2回電話で話した」と答えた。
教皇は「戦争が始まった日、ロシア大使館に行き、国民を代表する大使にこれについて問いただし、自分の意見を言うべきと考えた」と述べ、「自分が持ったロシアとの公式な接触は、大使館を通じてのものであった」と話した。
プーチン大統領と話す機会があるならばどういうメッセージを伝えるか、という質問に、教皇は「すべての権威者宛のメッセージは、自分が公式に発表したものだけである」と述べた。
戦争について教皇は、「すべての戦争はいつでも不正義から生まれる。そこに戦争の図式があるからである。そこに平和の図式はない。たとえば、武器購入のための投資がある。人々は、自分たちは防衛しなくてはならないと言う。これが戦争の図式である。第二次世界大戦後、皆が『戦争を二度と繰り返すな』と平和を望んだ。平和のための取り組みが相次いで始まり、広島と長崎の後、平和のための核軍縮への意欲もあった。それは大きな意欲だった。70年が経って、わたしたちはそれをすべて忘れてしまった」と語った。
「わたしたちは戦争に、(兄弟殺しの)カインの精神に取りつかれている」と述べた教皇は、「わたしたちは学ぶということがない。主がわたしたちを憐れんでくださいますように。わたしたち皆に責任があるのです」と話した。