「第6回貧しい人のための世界祈願日」教皇メッセージ
カトリック教会の「第6回貧しい人のための世界祈願日」が、今年11月13日に記念される。
教皇フランシスコは、この2022年度の同祈願日に向けメッセージを発表された。
その中で教皇は、今年度のテーマに選ばれた使徒聖パウロの言葉、「主はあなたがたのために貧しくなられた」(参照2コリント8,9)を味わいながら、「わたしたちを豊かにするキリストの貧しさ」という「信仰の偉大なパラドックス」を説いている。
数か月前、世界は、多くの人々の命を失った悲しみを抱えながらも、パンデミックの嵐から抜け出そうとしていた。失業で貧困化した人々の苦痛を和らげる経済回復の兆しが見え始め、今や青空がのぞこうとした時、ウクライナにおける戦争の勃発という新たな悲劇が、再び世界に別のシナリオを強いることになった、と教皇は記している。
戦争は多くの死と破壊と貧困をもたらし、暴力がいたるところで無防備で弱い立場の人々を襲っていると述べた教皇は、不確実と不安の中に置き去りにされた多くの人々の苦しみを和らげ、平和を取り戻すために、どのような答えを与えることができるだろうか、と問いかけている。
使徒パウロは、コリントの信徒たちに対し、「主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです」(2コリント8,9)と書き送った。そして、この言葉を通して、助けを必要とする兄弟たちへの彼らの慈善の業を堅固なものにしようとした。
エルサレムを訪問したパウロは、ペトロ、ヤコブ、ヨハネたちと出会った。彼らは貧しい人々を忘れないようにとパウロに頼んだ。実際、エルサレムの共同体は、飢饉のために重大な困難に直面していた。パウロはすぐに貧しい人々のための募金を計画した。コリントの信徒たちは非常に快くそれに協力した。しかし、次第に彼らの最初の熱意が薄れてきたのを感じたパウロは、「進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです」(2コリント8,11)と書き、励ました。
教皇は、連帯とはまさに自分が持っているわずかなものを何も持たない人々と分かち合うことであり、共同体の意識と交わりが育てば育つほど、連帯も成長するものである、と述べている。
また、教皇は、パウロがコリントの信徒たちに慈善の業を強要していない点を指摘。
実際、パウロは「わたしは命令としてこう言っているのではありません。[…] あなたがたの愛の純粋さを確かめようとして言うのです」(同8,8)と、イエスご自身が証しされたように、募金が愛のしるしとして行われることを願っている。
こうしたことから、教皇は、貧しい人々を前に、理屈ではなく、自発的に信仰を実践に移すことが大切である、と記している。
さらに、貧しい人々に対してしばしば心の通わない一方的な支援の態度が見られるが、重要なのは、誰もが必要なものに欠けることがないようにとの努力、兄弟として貧しい人に寄り添う誠実で寛大な配慮である、と教皇は語っている。
かつても今も、「人を豊かにする貧しさがある」というパラドックスを受け入れることは難しい、と教皇は述べつつ、しかし、パウロは、イエスの教えにあるように、「虫が食ったり、さび付いたり、盗人が忍び込んで盗み出したりする」(参照マタイ6,19)地上に富を積むのではなく、むしろ、誰も見捨てられたり、疎外されることのない、互いに重荷を背負い合う、相互の愛の中に富を積むようにと招いている、と指摘された。
教皇は、人を解放する貧しさとは、積み荷を軽くし、本質を見つめるために、わたしたちに託された責任ある選択のことである、と説かれた。