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カナダ:教皇「教会が和解のための生きた体となるように」

教皇フランシスコは、カナダ訪問2日目午後、エドモントンの教会で先住民や小教区の信者らとの集いを持たれた。

 カナダを訪問中の教皇フランシスコは、カナダ訪問2日目、7月25日午後、エドモントンの教会で先住民や小教区の信者らとの集いを持たれた。

 会場となった「ファーストピープルズの聖心教会」は、1913年に建設された、エドモントン市内で最も古い教会の一つ。この小教区は、1991年、カナダのファースト・ネイション、メティス、イヌイットのための教会となった。

 祭壇の上に高く組み合わされた4本の柱は、先住民たちのテントをイメージしている。

 教会に到着した教皇は、先住民の人々の太鼓の音と歌に迎えられた。

 教皇は人々のへの挨拶で、この教会にファースト・ネイション、メティス、イヌイットの人々と共に、先住民ではない地域の人々や、出身も様々な移民たちが共に集う様子を喜ばれ、開かれた受容性ある皆の家、これこそ神の家族、教会のあるべき姿である、と話された。

 この朝行われた、エドモントン南方マスクワシスでの先住民の人々との出会いを思い起こされた教皇は、カトリックの人々が先住民の同化政策に加担し、劣等感を与え、共同体と人々から文化的・精神的アイデンティティーを奪ったことを深く悲しむ、と述べられた。

 その一方で、このような小教区において、出会いを通し、日々、いやしと和解の基礎が築かれていることを神に感謝された。

 キリストによる和解とは、表面的な和平でも、双方の満足を図る妥協でもない、と教皇は強調。

 使徒聖パウロは、イエスは二つのものを一つのもの、一つの民に造りあげると言うが(参照エフェソ2,14)、それは何を通してだろうか、それは「十字架を通して」である。イエスはわたしたちを十字架上で、いのちの木の上で和解させられる、と説かれた。

 また、聖パウロはイエスは十字架を通してわたしたちを一つの体として和解させると説明するが、その体とはなんであろうか、それは教会のことである、と指摘。

 教会は和解のための生きた体であるべきにも関わらず、まさにその教会が関係した場所で人々が消しがたい苦しみを体験したことに、怒りと恥を覚える、と教皇は表明した。

 人が神に近づくことを可能にするより、人に神を押し付ける方が簡単に思われるが、それは決してうまくいかない、と教皇は述べ、なぜなら、神は強制や抑圧はせず、常に人を愛し、解放し、自由にされるからである、と話した。

 教皇は、神ご自身が望まれるようにイエスが自由と慈愛のうちに告げられ、わたしたちが出会う苦しむ人々を、解決すべき件ではなく、愛するべき兄弟姉妹として認めることができるように、そして、キリストの体である教会が、和解のための生きた体となるようにと祈られた。

 この後、教皇は参加者らと交流され、北米の先住民で初めて列聖された、聖カテリ・テカクウィサ(1656-1680)の像を祝別された。

26 7月 2022, 02:53