教皇、カザフスタンからの帰国便内で記者団と
教皇フランシスコは、9月15日(木)、カザフスタン訪問からの帰国時、ローマに向かう特別機の機内で記者団と対話された。
この対話を通し、教皇はカザフスタン訪問の印象のほか、ウクライナにおける戦争や、中国との対話、ヨーロッパの教会の状況などについて話された。
カザフスタン訪問の印象について、教皇は、独立から30年の同国の発展には目覚ましいものがある、と述べ、特にその秩序ある美しさ、調和ある建築群などに見る「未来的な」イメージに言及。また、同国が工業や経済など物質的発展だけでなく、文化的発展にも力を入れていること、中でも急進的世界において真っ先に切り捨てられる宗教の価値を大切にし、世界伝統宗教指導者会議をこれまで7回にわたって開催してきた、その先見性を称賛された。
あるドイツ人記者は、「ドイツでは80年前に非常に多くの人命を犠牲にした責任から、学校では、決して武器や暴力を用いないように習ったが、唯一の例外は自己防衛だった」と話し、今、ウクライナに武器を供与する是非を教皇に尋ねた。
これに対し教皇は、「それは政治的判断であり、また道徳的判断である」と述べつつ、道徳的状況にもいろいろあり、議論の余地はあるが、それを戦争をより拡大するため、武器を売るため、もしくは自分たちに不要の武器を始末するために行うならば、それは非道徳的と言える、と話された。
ポーランドの記者は、「教皇は『暴力は決して容認することはできない』と言うが、今ウクライナで起きていることは、ロシアによる暴力と死と破壊の以外の何物でもない。ポーランドでは多くの避難民と共にこの戦争を目の当たりにしている」と話し、こうした状況の中で、「わたしたちは対話に開いている」と、どこまで言うことができるか、と質問した。
教皇は「戦争を仕掛けた国と対話するということを理解するのは、常に難しいことだと思う」と述べつつ、「たとえそれが難しくても、対話を捨てることはできない。すべての人に対話の可能性は与えなくてはならない。対話によって何かが変わる、他の見方や考え方を与える、という可能性は常にあるからだ」と答えた。
「わたしは、それが戦争中であれ、攻撃してきた者であれ、あらゆる勢力との対話を排除しない」、「常に手を差し伸べ、一歩一歩前進することだ。さもなくば、平和への唯一の理性的な扉を閉ざしてしまうことになる」と教皇は語った。
別の記者は、教皇が前日の宗教指導者会議で宗教の自由の重要性を述べたことを振り返りつつ、同日、中国主席もヌルスルタンを訪れていたが、中国では長い間この問題をめぐる深い懸念があった、と述べ、特に現在進行中の陳日君(ジョセフ・ゼン)枢機卿に対する裁判は宗教の自由の侵害ではないのか、と質問した。
教皇は「わたしたちは対話の道を選び、対話に向けて開いている。バチカンと中国による委員会があり、ゆっくりながらも前進している。なぜなら、中国のペースは遅いものだからだ」、「中国のメンタリティーを理解することは容易ではない。しかし、それは尊重されるべきだ」と対話の姿勢を示した。
「中国を反民主主義のように見なすつもりはない。なぜならこれほどにも複雑な国だからだ。民主主義的でないように見えることが存在していることは確かだが」と教皇は語った。
「しかし、対話は多くのことをはっきりさせる」と述べた教皇は、「忍耐を失わず、対話と共に前進すべき」と強調した。