ヨハネ・パウロ1世列福「妥協なく愛し抜いた、謙遜な牧者」
第263代ローマ教皇、ヨハネ・パウロ1世(アルビーノ・ルチアーニ 在位 1978年8月26日-1978年9月28日)の列福式が、9月4日、バチカンでとり行われた。
この日、教皇フランシスコは聖ペトロ広場で捧げたミサ中の列福式で、ヨハネ・パウロ1世を福者として宣言された。
このミサには、ヨハネ・パウロ1世とゆかり深い、イタリア北部のベッルーノ=フェルトレ教区、ヴィットリオ・ヴェネト教区、ヴェネチア総大司教区をはじめ、世界各地からの巡礼者が参加。イタリアのセルジョ・マッタレッラ大統領も参列した。
列福の儀式では、ベッルーノ=フェルトレ教区のレナート・マランゴーニ司教が、神のしもべ教皇ヨハネ・パウロ1世の列福を教皇フランシスコに願い出た。
続いて、列福申請代理人ベニアミーノ・ステッラ枢機卿がヨハネ・パウロ1世の略歴を読み上げ、その人となりを振り返った。
**********
アルビーノ・ルチアーニ(後の教皇ヨハネ・パウロ1世)は、1912年10月17日、イタリアのベッルーノ=フェルトレ教区のフォルノ・ディ・カナーレ(現在のカナーレ・ダゴルド)に、ジョヴァンニ・ルチアーニ=ボルトラ・タンコン夫妻の4人の子息の長子として誕生した。
1919年、初聖体と堅信を受け、司祭の指導のもと、早くから召命を育んだ。
1935年にベッルーノで司祭叙階。1942年、ローマの教皇庁立グレゴリアン大学で神学修士、1947年、神学博士号取得。ベッルーノ教区では司牧のかたわら教壇に立ち、教区シノドスの事務局長、教理部門責任者などを務めた。1954年、司教代理。
1958年、ヨハネ23世よりヴィットリオ・ヴェネト司教に任命され、同年、司教叙階。司教紋章には、モットーの「謙遜」の上に「信仰」「希望」「愛」を表す3つの星を掲げた。それは常に彼の司教職におけるあり方を表すシンボルとなった。
対話と傾聴、司牧訪問や信者との直接の触れ合いを重要視し、地域の社会問題に関心を持った。信徒の教会活動への参加、司祭間の協力を励まし、召命と若い司祭の育成に力を注いだ。説教に優れ、福音のメッセージを伝えることにおいて類稀な才能を示した。
ヴィットリオ・ヴェネト司教時代、第二バチカン公会議に全会期(1962-1965)を通して参加。その教えを教区に明確かつ効果的に伝え、理解を深めさせた。教区からブラジルとブルンジに司祭宣教者を派遣。
1969年、パウロ6世よりヴェネチア総大司教に任命される。1972年、パウロ6世、ヴァネチアを司牧訪問。サン・マルコ広場の会衆の前で同教皇は自らのストラをルチアーニ総大司教の肩にかける。1973年、枢機卿に任命される。1972年から1975年、イタリア司教協議会副会長。
ヴァネチア時代も、ルチアーニ総大司教の簡素な生活、対話の姿勢、貧しい人々や病者への関心は変わらなかった。工業地帯マルゲーラ地区の労働者に寄り添うと同時に、スイス、ドイツ、ブラジルにイタリア系移民の共同体を訪問した。
パウロ6世逝去後のコンクラーベで、1978年8月26日、第263代ローマ教皇に選出され、ヨハネ・パウロという教皇名をとった。それは第2バチカン公会議を導いた2人の教皇、ヨハネ23世とパウロ6世に敬意を表すものであった。教皇職を通して教会に奉仕することにおいて、自身の思いはミサのカリスにこのように刻まれていた。「真理のしもべたりて、主人にあらず」。
ヨハネ・パウロ1世は、システィーナ礼拝堂での枢機卿団への最初の言葉で6つの目標、第2バチカン公会議の方針に沿った、福音の源泉への回帰、刷新された宣教性、司教の共働性、清貧な教会における奉仕、キリスト者の一致、正義と平和のための諸宗教間の対話を挙げた。
その在位期間の最初から奉仕と福音的簡素さに裏付けられたスタイルを特徴として見せた。4回にわたる一般謁見のカテケーシスでは、「信仰、希望、愛」の対神徳に基づくキリスト教の素晴らしさについて語った。
1978年9月28日の夜、わずか34日間の在位の後、ヨハネ・パウロ1世は突然この世を去った。神と教会、世界への深い愛のうちに、ローマ教皇として短くも模範的な在位を閉じた。
**********
こうして、ヨハネ・パウロ1世の人となりが紹介された後、教皇フランシスコは、「尊者・神のしもべ、教皇ヨハネ・パウロ1世は、これより福者と呼ばれ、教会法に基づき、任意の場所で、毎年8月26日に記念される」と宣言。
アレルヤが歌われる中、聖ペトロ大聖堂の正面バルコニー下に掲げられた福者ヨハネ・パウロ1世の肖像が除幕された。
そして、聖遺物として、ヨハネ・パウロ1世が1956年頃「対神徳」について書き記した自筆紙片が祭壇の近くに置かれた。
**********
教皇フランシスコは、列福ミサの説教で、「わたしたちは神の不滅の愛の対象です」(1978年9月10日 お告げの祈り)というヨハネ・パウロ1世の言葉を引用。十字架を見つめるわたしたちは、わたしたちの人生の中で決してかげることなく、最も暗い闇をも照らす、これほどまでの神の愛にふさわしくあるよう招かれている、と話された。
また、「十字架の上に身をかがめ、主の冠のとげに刺されることなしに」十字架につけられたイエスに接吻することはできない、というヨハネ・パウロ1世の言葉を思い起こしつつ、すべてのとげを受けながらも、中途半端ではない、徹底した愛と信仰を生きるよう、信者らを励まされた。
教皇は、福者ヨハネ・パウロ1世の、福音の喜びのもとに、妥協なく最後まで愛し抜いた生き方、イエスの弟子の清貧を体現し、物質的な富から離れるだけでなく、何よりも自己中心的な虚栄を退け、イエスに従い、温和で謙遜な牧者として歩んだ生涯を見つめられた。
「ヨハネ・パウロ1世は、その微笑みをもって、主の善良さを伝えることができた」と述べた教皇は、同福者がわたしたちに「魂の微笑み」を与えてくれるように祈った。
そして、「主よ、わたしの短所、欠点と共にわたしをお受けください。しかし、あなたがお望みになるとおりの者にしてください」(1978年9月13日 一般謁見)と、ヨハネ・パウロ1世のようにわたしたちも願おう、と信者らを招かれた。