教皇「あきらめてはならない、平和は可能」
教皇フランシスコは、イタリアの新聞「ラ・スタンパ」のインタビューに答えられた。
ジャーナリスト、ドメニコ・アガッソ氏によるこのインタビューは、教皇のイタリア北部ピエモンテ州アスティへの訪問の前日、11月18日、「ラ・スタンパ」紙に掲載された。同紙はピエモンテ州の州都トリノに本社を置いている。
同インタビューで、教皇はロシアとウクライナ間の和平へのあきらめることのない希望と、ご自身のルーツがあるピエモンテ地方との絆を語った。
バチカンとモスクワの間に何か新しい動きはあるか、との質問に教皇は、バーレーン訪問からの帰国便機内でも述べたように、バチカンの国務省は真の停戦と和平をもたらし得るあらゆる可能性を毎日探っている、と話した。
ウクライナの人々とその苦しみはいつもご自身の心の内にある、と述べた教皇は、ウクライナの人々に対する人道支援、紛争解決の糸口の追求、捕虜の解放など、バチカンの取り組みを説明。
「あきらめてはいけません、平和は可能です」と話しつつ、そのためにはすべての人がまずは自分の心の武装を解くことから始める必要がある、と語った。
教皇は「真の平和とは、対話によるもの」と強調し、武力では憎しみや支配への渇きを打ち破ることはできず、それらはいずれまた形を変えて再び現れることになる、と話した。
今回のイタリア・ピエモンテ地方への訪問について、教皇はご自分の家族の故郷で親類たちと少しの時間でも一緒に過ごせたらと前から願っていたと述べた。
そして、教皇に選出される前は、イエズス会のアルゼンチン管区長や、ブエノスアイレスの大司教として、会議などでローマに行くたびに、ピエモンテの父系の親類への訪問を習慣にしていたこと、一番年長の又従妹カルラさんの他に、5人の又従兄弟・又従姉妹らがいることなどを明かした。
ご自身にとってピエモンテとは何かと問われ、教皇は「それはわたしの言語です」と答えられた。ご自身が生まれてまだ13か月だった時、下の弟が生まれたため、自宅から30メートル離れた祖父母の家でよく過ごしていたと教皇は語り、「物心のついた頃にはピエモンテ方言の中にいました」と振り返られた。