イエスのように「開いた門」になる、教皇、ハンガリーでミサ
教皇フランシスコの3日間にわたるハンガリー司牧訪問は、4月30日(日)最終日を迎えた。
同日午前、教皇はブダペスト市内のコシュート・ラヨシュ広場でミサを捧げられた。
ドナウ川沿いの、国会議事堂に面した同広場には、朝早くからおよそ5万人の信者が詰めかけた。
このミサには、ノヴァーク大統領とオルバーン首相をはじめ、諸キリスト教教会の使節や、ユダヤ教共同体の代表、同国駐在外交団も参列した。
特別車「パパモービル」で広場に到着された教皇は、ミサ会場を一巡され、人々の歓迎に応えながら、祝福を与えられた。
「良い牧者の主日」と呼ばれる復活節第4主日、教皇はミサの説教で、この日の福音朗読(ヨハネ10,1-10)中の「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」というイエスの言葉を、イエスの使命を要約するものとして観想。
「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」とイエスが言われるように、イエスはご自身の群れを探す羊飼いのように、わたしたちが道に迷っていた時、わたしたちを探し、わたしたちを死から引き剥がし、一人ひとりを限りない愛で愛され、御父の囲いの中に導き入れてくださった、と教皇は話された。
教皇は、福音朗読箇所中の「羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す」(ヨハネ10,3)という言葉から、「良い羊飼い」が取る、最初に「名を呼び」、そして「連れ出す」という、2つの行動に注目。
「イエスは、わたしたちの名を呼び、家に連れ帰る、人類の良い羊飼い」と述べた教皇は、わたしたちが羊の群れのように「道を誤り、それぞれの方角に向かって行った」(イザヤ53,6)時、わたしたちの罪をすべて背負いながら、わたしたちを御父の御心の中に再び導かれた、その愛を感謝と共に思い起こそう、と招かれた。
今日、様々な共同体に属するわたしたちがここに一堂に集ったのは、まさにイエスがわれわれを呼ばれたからである、と教皇は話し、神の呼びかけによって生まれ、愛の抱擁によって一致した「普遍の教会」は、「良い羊飼い」の名のもとに、その愛を受け入れ、伝え、その「囲い」を誰も排除しないものとしなければならない、と説かれた。
羊飼いは自分の羊の名を呼んだ後、羊たちを「連れ出す」(ヨハネ10,3)。最初に神の家族として呼び集められたわたしたちは、次に、人に再び命を与える愛の証人となって、福音を告げるために世界に派遣される、と教皇は語られた。
この「入る」「出る」という動きに、教皇は「門」のイメージを想起させつつ、「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける」(ヨハネ10,9)というイエスの言葉を示された。
「イエスは、わたしたちを御父との交わりに入れるために大きく開かれた門である」と述べた教皇は、イエスの門は、御父の抱擁と教会の囲いの中にわたしたちを導き入れた後、兄弟たちと出会わせるためにわたしたちを世に送り出す、と話された。
教皇は、わたしたちもまた、イエスのように開いた門となって、主を心に招き、その慰めいやす御言葉を受け入れ、また同じ門から自身を受容的な社会に向けて開き、兄弟愛と平和の道におけるハンガリーの成長を助けていこう、と呼びかけられた。