マルセイユ:教皇「隣人のために心動かすことをイエスから学ぼう」
フランス・マルセイユを2日間にわたり訪れていた教皇フランシスコは、9月23日(土)、訪問中最後の公式行事として、市内の競技場でミサをとり行われた。
ミサ会場のスタッド・ヴェロドロームには、教皇ミサのため50万人以上の信者が詰めかけた。
また、教皇が滞在していた大司教館からミサ会場までの8kmの道のりには、地元市民はもとより、フランス全土より訪れた人々、およそ10万人が集い、教皇を熱心に歓迎した。
聖母に捧げたこのミサでは、福音朗読にマリアのエリザベト訪問のエピソード(ルカ1,39-45)が取り上げられた。
教皇は説教で、イエスを胎に宿した若いマリアが、年老いてはいるが同じく身篭っている親類のエリザベトを訪ねた場面を観想。
特に「マリアの挨拶をエリザベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった」という箇所に注目された。
「信じる者、祈る者、主を受け入れる者は、聖霊においておどり上る。何かが心の中で動くのを感じ、喜びにおどるのである」と話した教皇は、この「信仰によるおののき、心の震え」を持つことの大切さを示された。
信仰の体験は、とりわけ「いのちを前に心をおどらせる」と教皇は述べつつ、それに対し、無難な生活に慣れきった平坦で冷たい心は、無関心で武装し、すべてにおいて、たとえば移民や、生まれてくるのを拒まれた子ども、見捨てられたお年寄りなど、切り捨てられたいのちを見ても何も感じることがない、と語られた。
冷たく平坦な心は、人生を情熱や躍動、願望のない、機械的なものにしてしまうが、ヨーロッパ社会において、これらすべては、わたしたちをシニズム、諦め、不安に陥れる危険を持っている、と教皇は憂慮を示した。
信仰によって形作られた者は、エリザベトの胎内の子のように主の存在を認め、いのちの前だけでなく、弱く傷ついた隣人の前でも心を震わせることができる、と述べた教皇は、疲れた群衆、傷ついた人々に憐れみをもよおしたイエスから、自分の周りに生きる人々のために心を動かすことを学ぼう、と呼びかけられた。