「共に歩む教会のために」バチカンでシノドス総会開会ミサ
「世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会」の第1会期が、10月4日(水)、バチカンで開幕した。
この朝、教皇フランシスコは、バチカンの聖ペトロ広場に集ったおよそ2万5千人の信者らを前に、120人の枢機卿、370人のシノドス参加司教らと開会ミサをとり行われ、同シノドス総会をスタートさせた。
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「共に歩む教会のため − 交わり、参加、そして宣教」をテーマとする「世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会」は、初めての試みとして、地方教会レベル、大陸レベル、世界レベルにおける、3ステージを持った、一つの大きな「歩み」として準備されてきた。
2021年10月10日、バチカンでの開幕ミサをもって同シノドスの歩みが始まり、この後、2022年夏まで、第一ステージ、地方教会レベルでの、集い・傾聴・識別などの作業が行われた。
次いで、2022年秋から2023年春にかけて、第2のステージである大陸レベルでの会議・考察・提案・総括などの歩みが続いた。
そして、「共に歩む教会のため」というテーマのとおり、地方教会から始まり、大陸別の集いと作業を経て、教会内のあらゆる役割の多くの人々の参加・協力を交えながら入念に準備されてきた同シノドスは、ようやく最終ステージである、ローマでの世界代表司教会議・総会の第1会期(2023年10月4日〜10月29日)を迎えるに至った。
総会の第1会期終了後は、2024年秋開催の第2会期に向け、同シノドスの歩みは続いていく。
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教皇フランシスコは、このシノドス総会・第1会期の開会ミサの説教で、「御父をほめたたえ」、「疲れた者、重荷を負う者を迎え入れる」イエスの眼差しを観想しながら、この会議を始めるように招かれた。
総会開会にあたり、教皇は、「シノドスに必要なのは人間的な駆け引きや、政治的計算、イデオロギー的戦いではない」、「わたしたちがここにいるのは、国会のような会議や改造プランを進めていくためではない」と話した。
それに対し、「わたしたちがここにいるのは、御父をほめたたえ、疲れた者、重荷を負う者を迎え入れるイエスの眼差しと共に歩むためである」と強調された。
「イエスは、人々からの拒否を体験され、ご自身の周りに多くの頑なな心をご覧になったにも関わらず、失望や辛さにとらわれることなく、神を賛美し続けた。神を第一に据えたイエスの御心は、嵐の中にあっても穏やかであり続けた」と述べた教皇は、「イエスの神をたたえるこの眼差しは、わたしたちにも喜びに満ち、神のなされようを観想し、現在を識別する教会になるようにと招いている」と語られた。
教皇は、時代の荒波の中を行く教会の態度を、聖ヨハネ23世が第2バチカン公会議の開会の席で述べた「第一に必要なのは、教会が古来の人々から受け取った真理の遺産から決して目をそらさず、同時に、新しい状況、新しい生き方をもたらし、新しい使徒職の道を開いた、今日をも見つめることである」という言葉をもって示された。
また、教皇は、ベネディクト16世が2012年のシノドス中の黙想で述べた、「わたしたちにとっての問題とは、『神はお話しになられた。大いなる沈黙を破り、ご自身を現された。では、わたしたちは、それが人々の救いとなるように、いかにしてこの事実を今日の世界に伝えるか』ということである」という言葉を引用。
この問いを本質的なものとされた教皇は、「人類をいつくしみをもって見つめる教会となるために、わたしたちの眼差しを再び神に注ぐこと、これがシノドスの優先的課題である」と説かれた。
自らを知恵ある者と思っている人々が神の御業を認めることができないでいるのに対し、御父がこれらのことを小さな者や心の貧しい者たちにお示しになったと、イエスは神をほめたたえる。イエスはその生涯を通して、この受け入れに満ちた眼差しを、弱い人や、苦しむ人、見捨てられた人たちに注がれ、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ 11,28)と言われた。
教皇は、人々を受け入れるイエスのこの眼差しは、扉を開いた受容的な教会になるようにとわたしたちに呼びかけるもの、と指摘。
主の眼差しをもって今日の挑戦を見つめるために、聖パウロ6世が言う「耳を傾け合う教会」となるために、疲れた人、虐げられた人、道を見失った人たちに「来なさい」と招く、重荷を強要しない「負いやすい軛(くびき)」(参照 マタイ11,30)の教会となるために、シノドスの対話を通し、主との一致と友情において成長することを期待された。
シノドスは政治集会ではなく、聖霊が招く恵みと交わりの場所であると、改めて述べた教皇は、シノドスの主役である聖霊に自分たちを開き、祈りながら、喜びと信頼のうちに聖霊と共に歩んで行こう、と呼びかけられた。