「神を礼拝し、人々に仕える教会」教皇、シノドス閉会ミサで

教皇フランシスコは、「世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会・第1会期」の閉会ミサを、シノドス参加者らと共に捧げられた。

 共に歩む教会のため − 交わり、参加、そして宣教」をテーマにした「世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会・第1会期」の終了に伴い、教皇フランシスコは、10月29日(日)、閉会ミサをとり行われた。

 同日午前、バチカンの聖ペトロ大聖堂には、シノドス関係者らを中心に多くの人が集い、約1ヶ月にわたる兄弟的な対話の体験とその実りを神に感謝した。

 教皇は閉会ミサで、この日の福音朗読箇所、「マタイ福音書」中の、イエスが「最も重要な掟」とは何かを答えるエピソード(マタイ22,34-40)を取り上げ、説教を行われた。

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 「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」(同上22,36)とファリサイ派の律法の専門家から尋ねられた時、イエスの答えは明快であった。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、 あなたの神である主を愛しなさい。』 これが最も重要な第一の掟である。 第二も、これと同じように重要である。 『隣人を自分のように愛しなさい。』」(同上22,37-39)。

 このシノドス総会の第1会期の歩みを終えるにあたり、教皇は、「神をすべてのいのちをもって愛し、隣人を自分のように愛する」という、すべての出発点・再出発点であるこの「原則かつ基礎」を見つめるようにと招かれた。

 そして、教皇はこの「神と隣人を愛する」という愛の態度を、「礼拝し、奉仕する」という2つの動詞で表現された。

 まず、「愛するとは、神を礼拝すること」と述べた教皇は、「礼拝とは、神の無償の驚くべき愛に対してわたしたちが捧げることのできる、最初の答えである」と話した。

 そして、「神から愛されているという驚き、礼拝にあるこの驚きは、教会において不可欠なものである」と教皇は説いた。

 同時に教皇は、「神を礼拝することで、わたしたちは自由を再び見出す」とも指摘。なぜなら、神を礼拝する者は、わたしたちを隷属化する偶像を拒むからである、と説明された。

 教皇は、わたしたちが闘うべき偶像として、虚栄心や、成功への熱望、何がなんでも目立とうとする態度、金銭への貪欲、出世への憧れなどを挙げつつ、自分の宗教に対する考えや、自身の司牧の上手さなど、霊的なものに偽装された偶像をも示し、神の代わりに自分たちを中心に置くことがないようにと注意を促された。

 「教会とは礼拝する存在である」と、教皇はすべての教区、小教区、共同体で、主が礼拝されるようにと望まれ、「こうしてこそ、わたしたちは自分自身でなく、イエスを見つめることができるだろう」と話した。

 次に、「愛するとは、奉仕すること」と述べた教皇は、「キリストが最も重要な掟の中に、神と隣人を結び合わせたのは、決して両者を分離させないためである。この世の叫びに耳を傾けない真の宗教体験はなく、隣人に思いやりを持たない神の愛はない」と語った。

 「わたしたちは、実に多くの教会改革のためのアイデアを持っているかもしれない。しかし、神を礼拝し、兄弟を神の愛で愛すること、これこそが永遠の偉大な改革であることを忘れてはならない。礼拝する教会、また奉仕する教会とは、傷ついた人類の足を洗い、弱く、見捨てられた人と歩みを共にし、優しさをもって最も貧しい人々のところへ出かけていく教会である」と教皇は説かれた。

 教皇は、戦争の冷酷さの犠牲者、移民の苦しみ、孤独な人、貧しい人、人生の重みで押しつぶされた人の悲しみに思いを向けながら、「貧しい人を搾取し、兄弟愛を蝕み、社会を荒廃させることは大きな罪である。わたしたち、イエスの弟子たちは、神を第一に据え、それと同時に、神が大切にされる貧しく弱い人々を愛する、「福音」という別のパン種を世界にもたらすことを望んでいる」と話された。

 「最も貧しい人々をはじめ、皆に奉仕する教会」「いつくしみの港として、皆に扉を開く教会」、それがわたしたちが夢見るようにと招かれた教会である、と教皇は強調された。

 教皇は、シノドス総会・第1会期の閉会にあたり、「聖霊の対話」の中で、主の優しい現存を体験するとともに、兄弟愛の素晴らしさを発見することができた、と述べた。

 歩みの途中であるこのシノドスの完全な実りをまだ見ることはできないが、未来を見つめる目をもって、前に広がる地平線を眺めることができる、と教皇は話し、主の導きと助けのうちに、神を礼拝し、人々に仕え、福音の喜びを皆にもたらす、よりシノドス的で宣教的な教会を目指そうと、シノドス関係者はもとより、全教会に励ましをおくられた。

29 10月 2023, 17:07