諸聖人の祭日:教皇「聖性とは賜物であり、歩みである」
カトリック教会の典礼暦で、諸聖人の祭日を祝った11月1日(水)、教皇フランシスコは正午の祈りの集いを行われた。
祈りの前の説教で、教皇は聖性とは何かを考察された。
教皇の説教の要旨は次のとおり。
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今日、諸聖人の祭日を祝うにあたり、聖性について、特に真の聖性が持つ2つの性質、「聖性とは賜物である」ということ、また「聖性とは歩みである」ということについて考えてみよう。
まず「聖性とは賜物である」。聖性はわたしたちが洗礼と共に受け取った、神の賜物である。それを育てるならば、わたしたちの人生を完全に変えることができる。聖人たちは到達不可能な、遠い彼方の英雄ではない。彼らはわたしたちの友人であり、彼らの出発点もまた、わたしたちが受けたものと同じ洗礼なのである。
よく振り返れば、わたしたちも必ず日常生活の中で聖人たちに出会っているはずである。それは、正しい人、キリスト教生活を真面目に単純さをもって生きている人、身近に暮らしている聖人たちである。
聖性は、幸いな人生のためにすべての人に与えられた贈り物である。わたしたちが贈り物を受け取った時の、最初の反応は何だろうか。幸福な気持ちを感じるだろう。なぜなら誰かがわたしたちを大切に思ってくれるからだ。聖性の贈り物はわたしたちを幸せにする、なぜなら神がわたしたちを慈しんでくださるからである。
だが、すべての贈り物は、感謝と責任をもって受け取らなければならない。わたしたちはそれを無駄にしないように招かれている。洗礼を受けたすべての人は、その人生を通して、受け取った聖性を保ち、それを完成させるようにと召されている。それゆえに、「聖性とは歩みである」とも言える。それは、共に助け合いながら、登山者のようにロープでつながり、一致して行く歩みである。その歩みの最高の仲間とは、聖人たちである。
聖人たちは、わたしたちの兄、姉としていつも頼りにできる存在である。聖人たちはわたしたちを支え、われわれが道を誤る時、沈黙の存在をもってそれを正してくれる。聖人たちは信頼できる誠実な友人として、わたしたちのためを思ってくれる。わたしたちは、聖人の生涯に模範を見出し、彼らの祈りから助けと友情を受け取り、彼らと兄弟的な愛の絆を強めるのである。
聖性とは歩みであり、賜物である。ここで自問しよう。自分を聖性へと招き、それに到達するのを助ける聖霊を受けたことを思い出せるだろうか。聖性の恵みを聖霊に感謝しているだろうか。聖人たちを身近に感じ、彼らに向かって話しかけているだろうか。聖人たちの生涯を知っているだろうか。聖人たちの生涯を知り、それを行動の模範とすることはためになることである。祈りの中で聖人たちに向かって話すことはとても有益である。
諸聖人の女王、マリアよ、わたしたちに受けた恵みの喜びを感じさせ、永遠への熱望をかき立ててください。