教皇「東方三博士のように、天を見上げ、歩み、礼拝する」

教皇フランシスコは、「主の公現」の祭日のミサをとり行われた。

 教皇フランシスコは、1月6日(土)、バチカンで「主の公現」の祭日のミサをとり行われた。

 「主の公現」の祭日とは、ベツレヘムで生まれた幼子イエスのもとに東方三博士が訪問した出来事や、ヨルダン川におけるイエスの洗礼、カナの婚礼でのイエスの最初の奇跡など、キリストが公に人々の前に姿を現され、キリストを通し、神の栄光がすべての人に現れたことを記念する日。

 同祭日は1月6日に祝われるが、日本の教会では、1月2日から1月8日の間の主日(日曜日)に記念される(2024年度は、1月7日(日))。

 6日の朝、聖ペトロ大聖堂で捧げられた教皇ミサには、およそ6千人の信者が参列した。

 ミサの説教で教皇は、生まれたばかりの王を探しに旅に出る東方三博士の姿は、神を求めて歩む民、遠くから神のもとへと近づいていく人々の巡礼をイメージさせるものと話された。

 教皇はその旅する博士たちの姿・態度として、「天を見つめる眼差し」、「大地を歩む足」、「礼拝のうちにひれ伏す心」の3つを指摘。

 「天を見つめる眼差し」について、彼らは自分の世界や、地上的な考えだけに閉じこもることなく、顔を上げ、自分たちの人生の意味を照らす光、天から来る救いを待ち望み、空に一つの星が現れるのを見ると、星々の間で最も明るく輝くその星に惹かれるままに歩んでいった、と話された。

 また、教皇は、東方三博士たちは星を見つめる眼差しだけでなく、「大地を歩む足」を持っていた、と指摘。輝く星は、彼らに地上の道を低く歩ませ、まぐさ桶の中の幼子の前で身をかがめさせた。なぜなら無限に大きい神は、この幼子の小ささの中にご自身を現されたからである、と教皇は説いた。そして、信仰の賜物は、天を見上げさせるだけでなく、福音の証し人としてわたしたちにこの世の道を歩かせ、兄弟たちと出会わせる、と語られた。

 さらに、博士たちには「礼拝のうちにひれ伏す心」がそなわっていた。ベツレヘムに到着した彼らは、幼子イエスを見ると「ひれ伏して拝んだ」(参照 マタイ2,11)。そして宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。教皇は、黄金は王を、乳香は神を、没薬は死を象徴するもの、と説明。わたしたちに仕えるために来られた王、人となられ、わたしたちへの愛のために死なれた神、これらの神秘を前に、わたしたちは心を低くし、礼拝するためにひざまずくように招かれている、と話された。

 「東方の三博士のように、眼差しを天に上げ、主を探すために歩み、心を低くして拝もう」と教皇は述べつつ、神を探す勇気、この世を忍耐強く歩む勇気、すべての人を照らす神を見つめ礼拝する勇気を主に祈られた。

06 1月 2024, 20:21