「外側から内側への旅へ」四旬節迎え、教皇による灰の式
「四旬節」の初日である「灰の水曜日」、教皇フランシスコは、ローマの聖サビーナ教会でミサを捧げ、この中で「灰の式」をとり行われた。
「四旬節」は、キリストが公生活を始める前に、荒れ野で40日間の断食を行ったことを思い起こすもので、この四旬節の間、信者らは、悔い改め、祈り、断食や節制、施しや愛徳の行為を通し、復活祭によりふさわしい形で与るための準備に招かれている。
「四旬節」は「灰の水曜日」から始まる。この日は、死と痛悔の象徴である灰を頭に受ける「灰の式」がとり行われる。
同日午後、教皇はローマ市内アベンティーノ地区に向かわれた。アベンティーノはローマの「7つの丘」の一つで、競技場遺跡チルコ・マッシモをはさんでパラティーノの丘と向かい合っている。周囲には豊富な古代遺跡群、丘の上には中世紀を起源とする教会群がある。
「灰の水曜日」の一連の儀式は、聖アンセルモ教会での導入の祈りから始まり、ここから宗教行列が出発した。行列は諸聖人の連祷を唱えながら、聖サビーナ教会へと厳かに進んだ。
聖サビーナ教会では教皇によるミサがとり行われた。
ミサの説教で教皇は、施しをする時、祈る時、断食する時、人目につかないように隠れて行うように教えるイエスの言葉(参照 マタイ6, 1-6. 16-18 )を示された。
「隠れて行う」「隠れたところに入る」ようにとのイエスの招きは、ヨエル書の「今こそ、心から私に立ち帰れ」という主の呼びかけ(参照 ヨエル2, 12)同様、わたしたちを「外側から内側への旅」に導くもの、と教皇は指摘。
四旬節は、自分の虚飾を脱ぎ捨て、ありのままの姿に戻り、自分が何者であるかという自覚をもって、神の御前に心から立ち返る時である、と説かれた。
そして、わたしたちは塵にすぎず、人間は息にも似たはかないものである、という現実を思い出すために、祈りと謙遜の精神のうちに、頭に灰を受けようと呼びかけられた。
同時に教皇は、わたしたちは「神から愛された塵」であるとも強調。神の恵みによって、わたしたちは、イエス・キリストと聖霊において、罪の灰から新しいいのちへと生まれ変わるだろう、と述べられた。
教皇の説教に続き、灰を聖水で祝別し、信者の頭に灰を与える儀式が行われた。
「灰の式」で教皇は、バチカンの裁判所の一つ、内赦院の院長マウロ・ピアチェンツァ枢機卿から、最初に自らの頭に灰を受けられた。
そして、教皇もまた、ピアチェンツァ枢機卿の頭に灰を置かれた。
参加者らが灰を受けた後、感謝の典礼が行われ、こうして四旬節の到来を象徴する儀式は終了した。