教皇、ローマの刑務所で「主の晩さんの夕べのミサ」
3月28日、「聖木曜日」の午後より、教会の典礼は一年間の頂点であり、主の受難と死と復活を記念する「過ぎ越しの聖なる三日間」に入った。
「過ぎ越しの聖なる三日間」は、復活祭を目前にした「聖週間」中の木曜日、「聖木曜日」午後の「主の晩さんの夕べのミサ」から、「復活の主日」の「晩の祈り」までをいう。
その始まりとなる「主の晩さんのミサ」は、受難が近づく中、イエス・キリストが弟子たちと共にした最後の晩さんにおいて、聖体とミサ聖祭、司祭職を制定されたことを思い起こす。
また、このミサの中では、イエスが最後の晩さんの前に、自ら弟子たちの足を洗われ、愛と奉仕の模範を示されたことに倣い、「洗足式」が行われる。
教皇はこの聖木曜日の夕方、ローマ郊外のレビッビア刑務所の女子部を訪問、「主の晩さんの夕べのミサ」をとり行われた。教皇が同刑務所でミサを捧げるのは、2015年の聖木曜日に続き、今回で2度目となった。
ミサは、建物に囲まれた同刑務所女子部の運動場を会場とし、その一角に張られた大きなテント内に祭壇が設けられた。
刑務官やそこで奉仕するボランティアや修道女たちの協力により、会場の飾り付けや、ミサの式次第の冊子の配布、椅子を並べる作業などが行われた。受刑者らが参加するコーラスが、ミサをいっそう豊かなものとした。
同刑務所は、刑のレベルが中程度の人々の施設、マフィアなどの組織犯罪に関連する人々の施設、病棟など、いくつかのセクションに分けられる。教皇ミサには、約300人の受刑者のうち、およそ200人が参列した。参加できなかった人々の中には、病気や高齢の受刑者が多くいるという。
教皇はミサの説教で、イエスは最後の晩さんで弟子たちの足を洗われたが、この謙遜な行為を通して、「わたしは仕えさせるためではなく、仕えるために来た」というご自分の言葉を理解させ、わたしたちに奉仕の道を示された、と話された。
また、教皇はユダの裏切りに触れ、ユダは愛し続けることができず、お金やエゴイズムが彼を裏切りに導くことになった、と語った。
教皇は、イエスは常にすべてを赦されるが、イエスがわたしたちに唯一望まれるのは、わたしたちが赦しを乞うことである、と強調。
「イエスは赦すことに疲れを知らないが、わたしたちの方が赦しを乞うことに疲れてしまう」と、ある高齢の女性が言った言葉を教皇は思い起こしながら、疲れることなく赦しを乞う恵みを主に願うよう、受刑者らを励まされた。
続いて行われた洗足式では、教皇は国籍・宗教の異なる12人の受刑者の足を洗われた。
ミサ終了後、教皇と受刑者たちとの出会いが行われた。
同刑務所のナディア・フォンターナ所長は、挨拶の中で、今日の教皇の訪問は陽の光のように一人ひとりの心を温めたと語った。
受刑者たちから、刑務所内の菜園で作った野菜や、手作りのロザリオ、ストラなどが教皇に贈られ、教皇からは、聖母子画や、復活祭のお菓子である卵形のチョコレートなどが贈られた。
次いで、教皇は病舎の受刑者らを訪ね、励ましと祝福を与えられた。また、責任者が語る刑務所内での様々な困難、成長や希望などについて耳を傾けられた。
こうしてレビッビア刑務所の訪問を終えた教皇はバチカンに戻られた。