「イエスに赦され、涙を通して得るいやし」教皇、聖香油のミサで

「聖木曜日」の午前中の儀式として、教皇フランシスコはローマ教区の司祭たちと共に「聖香油のミサ」をとり行われた。

 「聖木曜日」の午前中の伝統の儀式、「聖香油のミサ」が、3月28日、教皇フランシスコとローマ教区の司祭たちによって捧げられた。

 復活祭を直前に控えた一週間「聖週間」中の木曜日は「聖木曜日」と呼ばれる。この日の午前中には、各教区の司教座聖堂で、司教と司祭の共同司式による「聖香油のミサ」がとり行われる。

「聖香油のミサ」は、その中で行われる「司祭叙階時の約束の更新」と、「聖油の祝別」を特徴としている。

 この朝、バチカンの聖ペトロ大聖堂の中央祭壇を囲み、ローマ司教である教皇と共にミサを司式するおよそ1500人の司祭たちの祭服が白く広がった。

 ミサは、前半のことばの典礼では教皇が、後半の感謝の典礼ではローマ教区の教皇代理司教アンジェロ・デ・ドナーティス枢機卿が主司式者となって行われた。

 説教で、ミサ中の福音箇所、イエスが故郷ナザレの会堂で朗読・説教する場面(ルカ4,16-21)を取り上げた教皇は、「会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた」(同4,20)という言葉に注目。沈黙のうちにイエスに向けられる、驚きといぶかしさの入り混じった人々の眼差しを想像された。

 一方で、教皇は、最後の晩餐の席で、「あなたは、[…]三度わたしのことを知らないと言うだろう」(マルコ14,30)とペトロの離反を見抜くイエスの眼差し、またイエスが逮捕されてから「わたしはあの人を知らない」と三度否定するペトロを振り向いて見つめるイエスの眼差しをも観想された。

 イエスのその眼差しを見たペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出し、外に出て、激しく泣いた(参照 ルカ22,61-62)。

 教皇は、ペトロのいやし、使徒のいやしは、彼らが傷つき、後悔し、イエスに赦していただいた時に、苦い涙と悲しみを通してやって来るのであり、その涙は彼らに愛を再び見出させるものとなる、と話された。

 わたしたちの内的な再生は、自分たちの惨めさと、主のいつくしみが出会った場所から、わたしたちの精神の貧しさに対し、聖霊がそれを豊かにしてくださるところから生まれる、と教皇は指摘。

 わたしたち司祭は、自分の良心の究明や祈りの中にどれだけの悔恨と涙があるかを問いたださなければならない、と説かれた。

 説教に続いて、司祭叙階の日の約束の更新が行われた。

 「主キリストが使徒とわたしたちにご自分の司祭職を告げたこの記念の日に、あなたがたが叙階の日に司教と聖なる神の民の前で行った約束を新たにすることを望みますか」と教皇が問うと、司祭らは「はい」と答え、その約束を更新した。

 また、教皇は会衆に向けて、司祭たちのために祈るように招いた。

 この後、聖油の祝別が教皇によって行われた。

 儀式では、助祭たちが「病者用聖油」、「洗礼志願者用聖油」、入信、堅信、叙階等に用いられる「聖香油」の三種の聖油の壺を教皇の前に運んだ。教皇はそれぞれの香油を、祈りと共に祝別された。

 特に最後の「聖香油」の壺には香料が注がれ、教皇は祈りに続き、その壺に息を吹き込まれた。再び続く教皇の祈りと一致し、司祭らも壺に向けて手をかざし、沈黙のうちに祈った。

 この「聖木曜日」の午後より、教会の典礼は一年間の頂点をなす「聖なる過ぎ越しの三日間」に入った。教皇は午前中の「聖香油のミサ」に続き、午後「主の晩餐の夕べのミサ」を捧げるために、ローマのレビッビア刑務所に向かわれた。

28 3月 2024, 16:33