ヴェローナ:教皇「死や破壊や恐れではなく、希望の種を蒔こう」
5月18日、イタリア北部ヴェローナを訪問した教皇フランシスコは、ミーティングイベント「平和のアレーナ」を主宰された。
同ミーティングは、「平和は皆のものでなければ、誰のものでもない」との信念のもとに、「平和が推進され、準備され、ケアされ、実験され、構成される」ための努力のプロセスの一歩として企画された。
ヴェローナのシンボルである古代円形闘技場「アレーナ」で開かれたこの催しには、様々な分野で平和のために取り組む個人や団体・運動の代表者らをゲストに、およそ1万2千人が集い、相互に結びつく普遍の財産としての、平和と、正義、基本的人権、環境、経済などについて考えた。
教皇はこの出会いで、何人かの代表者らと平和をめぐる対話を行なった。
この中では、アフガニスタン生まれ・在住のジャーナリストで女性の権利のために活動するマブーバ・セラジさんが、長い紛争と、民主主義と平和の幻想を体験したアフガニスタンの現状に触れつつ、同国や世界に平和をもたらすためには何ができるだろうかと教皇に尋ねた。
この問いに対し教皇は、個人主義の風潮が強い文化においては共同体的な視点が消えかねないリスクを指摘。こうした傾向は、政治や企業、社会活動等の分野の責任ある立場の人々の思考にも影響を与え、彼らはまるで英雄のように他者を救わなければならないという課題にプレッシャーと孤立を感じていることがよくある、と語られた。
もし、指導者に対するわたしたちの概念が、他のすべての人の上に立ち、われわれのためになること、ならないことを一人で決めるように呼ばれた人だというものならば、わたしたち自身のビジョンを貧しくするだけでなく、責任を持つ人の創造的なエネルギーまでも枯渇させ、共同体や社会全体が不毛なものになってしまうだろう、と話された。
誰も他者なしでは存在できず、誰も一人ですべてのことはできない、と述べた教皇は、わたしたちが必要とする責任者らは、自分の長所と限界を認め、誰に助けや協力を求めたらよいかを知る人たちであり、特に安定した平和の構築に携わる指導者たちは、一人ひとりの価値を認め、信頼し、人々の側からも意味ある貢献をしたいと感じさせることができなくてはならない、と自身のリーダー像を示された。
また、教皇は、若者たちに社会や平和構築に参与する情熱を起こさせることが一つの大きな課題である、と強調。若い人の育成に投資し、未来への道は自分個人のための務めだけではなく、それぞれの能力に応じた義務を持った一つの民の行動を通して開かれるというメッセージを伝えなくてはならない、と話した。
この集いでは、両親をハマスに殺害されたイスラエルの男性と、イスラエルの兵士に兄弟を殺害されたパレスチナの男性が、それぞれの苦しみを通して歩み寄り、より良い未来のために対話するようになった経過を説明。
教皇は、「この二人の兄弟、二つの民の苦しみを前に言葉がない。彼らは抱擁し合う勇気を持った。これは単なる勇気でも、平和の願望の証しでもなく、これは未来の計画である」と語り、「彼らを前に、それぞれ心の底から主に平和を祈ろう」と、参加者らを招かれた。
「平和は不信や壁や武器からは生まれない」と述べながら、教皇は使徒聖パウロの「人は自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです」(ガラテヤ6,7)ということばを引用。「死や破壊や恐れではなく、希望の種を蒔こう」と、皆に呼びかけられた。