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「ポルティコの聖母」のイコンを前に祈る教皇フランシスコ 2016年5月29日 「ポルティコの聖母」のイコンを前に祈る教皇フランシスコ 2016年5月29日  

「ポルティコの聖母」の信心1500年に教皇のメッセージ

「ポルティコの聖母」への信心の始まりから1500年、教皇フランシスコは、「ポルティコの聖母」のイコンが保管されるローマのサンタ・マリア・イン・ポルティコ・イン・カンピテッリ教会を預かる神の母の聖職者会の関係者にメッセージをおくられた。

 ローマの「ポルティコの聖母」に対する信心の始まりから1500年を迎え、教皇フランシスコはこれを記念するメッセージを寄せられた。

 「ポルティコの聖母」の歴史は、6世紀前半にさかのぼる。伝承によれば、524年7月17日、ローマの貴族、聖ガッラ(不明-550年頃)が自宅のポルティコ(柱に囲まれた屋根付き玄関口、あるいは柱廊)で、貧しい人々の世話をしていると、突然眩い光が壁を照らした。不思議な出来事に教皇聖ヨハネ1世(在位523-526)も駆け付け、熱心に祈ったところ、熾天使(セラフィム)が教皇の手の中に聖母のイコンを置いた。教皇がそのイコンで群衆を祝福すると、ローマはそれまで苦しめられていた恐ろしい伝染病から解放されたという。

 教皇は、17世紀より、このイコンと共に、ローマのサンタ・マリア・イン・ポルティコ・イン・カンピテッリ教会を預かる、神の母の聖職者会の関係者にメッセージをおくられた。

 この中で、教皇は聖ガッラの貧しい人々への愛は、神の母の聖職者会の創立者、聖ヨハネ・レオナルディ(司祭、1541-1609)の霊性でもあると指摘。

 今日その霊性を受け継ぐ皆さんは、貧しく弱い立場に置かれた人々を受け入れ、世話し、自分たちの生活の場と教会を人々に慰めと救いを与える「ポルティコ」として開いていくように、と招かれた。

 また、「ポルティコの聖母」はそのマントを聖ヨハネ1世の上に広げた、と教皇は記しつつ、聖ヨハネ1世が政治的策略や兄弟殺しの紛争の中でも決して信仰を曲げることなく、平和を祈りながら殉教したことを回想。

 今日の情勢を前に、わたしたちも平和を推進し、平和のために祈り、平和の作り手となっていこうと、関係者らを励まされた。

17 7月 2024, 15:23