トリエステ:教皇、民主主義の「傷ついた心臓」をいやす必要強調
教皇フランシスコは、7月7日(日)、イタリア北東部トリエステを司牧訪問された。
トリエステでは、今年第50回目を記念するイタリアのカトリック教会の「社会週間」(2024年7月3日-5日)が、「民主主義の中心へ向かって。歴史と未来の間に参与する」をテーマに開かれていた。
教皇はこの「社会週間」の最終日、市内のジェネラーリ・コンヴェンション・センターで、およそ1200人の会議参加者を前にスピーチを行われた。
この中で、過去50年にわたりイタリアの歴史と交わってきた「カトリック社会週間」歩みを振り返った教皇は、それを社会の変化に敏感で共通善への貢献に努力する教会の姿を映し出すものと捉えられた。
イタリアの社会・経済学者で、「社会週間」の創始者、福者ジュゼッペ・トニオーロ(1845-1918)は、民主主義を、すべての社会的、法的、経済的な力が、共通の利益のために均衡をもって協力し、最終的な結果として、社会においてより不利な立場に置かれた人々の利益に帰結するような市民秩序と定義していた、と教皇は述べ、この定義に照らせば、今日の世界において民主主義が健全な状態にないことは明らかである、と話された。
教皇は、民主主義の危機は様々な分野・国々にわたることから、社会の変革に対する責任ある態度が、世界各地で暮らし、働く、すべてのキリスト者に呼びかけられている、と語られた。
「民主主義の中心(クオーレ)へ向かって」という今年の「社会週間」のテーマを取り上げながら、教皇は「クオーレ=心臓」というイメージから、現在の民主主義の状態、そして民主主義の未来への道のりを考察。まず現在の民主主義の危機を、「傷ついた心臓」にたとえられた。
教皇は、腐敗や不法が民主主義を傷つけている現実はもとより、様々な形の社会的疎外を憂慮。「切り捨ての文化」が、貧しい人や、生まれてくる子ども、弱い立場の人々、病者、若者、高齢者たちに場を与えない町を形作っていく、と警告された。
「民主主義」という言葉は、ただ人民の顔を反映するだけでなく、すべての人が意見を表し、参加できる環境作りを要求するものであり、その参加についても、イデオロギーやポピュリズム的なものに対する客観的な目を養う意味で、若い時から「訓練」が必要、と教皇は指摘。
民主主義が「傷ついた心臓」から「いやされた心臓」になる時まで、皆が積極的に参加していかなければならない、と話された。
また、教皇は、民主主義が「いやされた心臓」になるには、創造性を働かせることが必要と述べた。
教皇は、家庭や、社会、経済、技術、政治など様々な分野の中で民主主義のいやしのために努力する人々の例として、障害者の活動の場を広げる人々、他の労働者の権利のために連帯する労働者、統合的エコロジーのためにエネルギーリノベーションに力を注ぐ共同体、出生率の向上や、労働、教育、住居、皆のためのモビリティ、移民の社会統合に取り組む行政などを挙げられた。
「兄弟愛は社会の絆を花開かせる」、「安易な解決にだまされず、共通善のために情熱を燃やそう」と述べた教皇は、民主主義を、虚しい言葉ではなく、人間の価値、兄弟愛、統合的エコロジーと具体的に結びついたものとして示された。
教皇はカトリック信者たちに対し、傾聴されることを望むだけでなく、公的な議論の場で、正義と平和の提案をする勇気を持つことが大切であり、それは結果への対処に満足せず、原因に立ち向かっていく、政治への愛というものであると強調。
この政治への愛とは、政治に責任を果たさせ、課題に対する理解と挑戦を妨げる二極化から抜け出せるよう助ける、一つの愛(カリタス)の形なのである、と説かれた。
すべてのキリスト教共同体はこの政治への愛に招かれていると述べつつ、教皇は、民主主義の作り手、人々を参与させる力を持った証し人となるよう、「社会週間」の会議参加者らを勇気づけられた。