「みことばに耳を傾け、みことばを生きる」教皇、インドネシアでミサ
東南アジア・オセアニアを訪問中の教皇フランシスコは、9月5日午後、インドネシアの首都ジャカルタの競技場でミサを捧げられた。
翌日のパプアニューギニアへの出発を前に、このミサはインドネシアでの最後の公式行事となった。
教皇ミサは、ゲロラ・ブン・カルノ・スタジアムをメイン会場として行われたが、もう一つの会場となったマディア・スタジアムも大勢の信者で埋め尽くされた。
ミサ開始前、教皇は特別車「パパモービル」で最初にマディア・スタジアムに向かい、大型スクリーンを備えた同競技場内に集った信者たちに祝福をおくられた。
続いて、ミサの祭壇・ステージが設営されたゲロラ・ブン・カルノ・スタジアムに到着された教皇は、ここでも特別車で会場を一巡され、参加者の歓声に応えられた。
このミサ中、教皇は、福音朗読箇所、イエスが漁師シモン・ペトロとその仲間たちをご自分の弟子にするエピソード(ルカ5,1-11)を取り上げ、説教を行われた。
教皇はこのエピソードから、「みことばに耳を傾けること」「みことばを生きること」の二つを、わたしたちがイエスの弟子となるために必要な態度として示された。
教皇は、まず、イエスに耳を傾け、心を開き、イエスの友情という貴重な贈り物を受け入れることからすべては生まれる、と話された。
しかし、耳で聞くだけでは、みことばの種は心に根付かない。みことばがわたしたちの中でいのちとなり、わたしたちを変容させ、わたしたちの人生に受肉するには、受け取ったみことばを生きることが大切、と教皇は述べた。
主のみことばは、わたしたちの中に具体的に受肉することを求めており、実際、イエスはペトロに「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と命じ、そのみことばに賭けるようにと促された、と教皇は指摘。
主はみことばの燃える力をもって、わたしたちにも沖に出るように、すなわち、悪い習慣や恐れや凡庸さといった淀んだ岸から離れ、新しい人生を生きる勇気を持つようにと望んでおられる、と話した。
当然、イエスのこの呼びかけに応じないための言い訳はたくさんある、と教皇は述べつつ、ペトロも夜通し苦労したが何もとれず、疲れ切って落胆していたが、その虚しさに囚われることなく「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」とイエスに答えたことで、大漁の奇跡を体験することになった、と語られた。
教皇は、わたしたちも失敗に囚われたり、空の網だけに目を向けることなく、ペトロと同じ謙遜と信仰をもってイエスを見つめ、イエスに信頼しなければならない、と説かれた。
教皇はインドネシアの信者たちに、たゆまず沖に出て、網を降ろし、平和の文明を夢見て、それを築くように、また、常に兄弟愛を夢に抱き、主のみことばに導かれ、愛の種を蒔き、対話の道を確信のうちに歩み、皆さんを特徴づける笑顔をもって、善意と優しさを実践して欲しい、と励ましをおくられた。