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「神と御言葉に自らを開こう」教皇、パプアニューギニアでミサ

教皇フランシスコは、パプアニューギニアの首都ポートモレスビーのスタジアムでミサをとり行われた。

 教皇フランシスコは、9月8日(日)、訪問先のパプアニューギニアでミサをとり行われた。

 ミサ会場となった首都ポートモレスビーのサー・ジョン・ギーズ・スタジアムには、およそ2万3千人の信者らが集った。

 教皇はミサの前に、ゴルフカーで会場を一巡され、信者らに祝福を与えられた。

 ミサの説教で教皇は、この主日の福音朗読箇所、耳が聞こえず舌の回らない人をイエスがいやすエピソード(マルコ7,31-37)を取り上げられた。

 教皇はこのエピソードに、耳が聞こえず舌の回らない人の「隔たり」とイエスの「近さ」という2つの要素を見出しながら、次のような要旨で話された。

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 この耳が聞こえず舌の回らない人は、今日で言う「郊外」にいた。ヨルダン川を越えた位置にあるデカポリス地方は、宗教的中心地であるエルサレムから遠く、異邦人が住んでいたために、当時の人々の慣習によって不浄な土地、神から離れた場所とみなされていた。

 しかし、この人は別の種類の「隔たり」をも生きていた。他者の話を聞けないと同時に、他者と話せない彼は、コミュニケーションの可能性を持たず、そのために神からも人々からも隔てられていた。世界から切り離されたこの人は、自分が置かれた状態に囚われ、他者に向けて自分を開くことができずにいた。

 わたしたちはこのような状態を別の意味で読み取ることができる。わたしたちも、耳と口以上に、心を閉ざされることで、神と人々との交わりと友情から隔てられる可能性がある、ということである。

 この内的に耳が聞こえず舌の回らない状態は、エゴイズムや無関心、恐れや怨恨などによって、自分自身に、神に、他者に、また生きる喜びに、心を閉ざすことによって起きる。

 この「隔たり」に、神はイエスの「近さ」をもって答えられる。御子を通し、神は特にこのことを伝えたいと欲しておられる。それは、神は憐み深く、近くにおられる神、わたしたちの人生の世話をされ、あらゆる隔たりを超える方、ということである。

 イエスは、その「近さ」をもって、人間の耳が聞こえず舌の回らない状態をいやされる。実際、わたしたちが神や兄弟たちから隔たりを感じる時、あるいは隔たりを選んだ時、わたしたちは自分自身を閉じ、その中に閉じこもり、自分の周囲だけをまわり、神の御言葉や隣人の叫びに耳を閉ざし、神と隣人と話すことができなくなる。そこで、イエスはわたしたちに近づき、「エッファタ」、すなわち「開け」と言われる(マルコ7,34)。

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 教皇はこうして福音を説いた後、さらに、パプアニューギニアの信者に向けて、次のように説教を続けられた。

 「太平洋に面したこの大きな島に暮らす皆さんは、自分たちは世界の果ての遠い場所にいると思ったことがあるかもしれません。そして、様々な理由で、神とその福音に距離を感じ、神との交わり、あるいは皆さん同士での交わりを困難に思っているかもしれません。

 耳が聞こえず舌の回らない人にイエスが近づかれたように、今日、主は皆さんに近づかれ、隔たりを取り払い、皆さんが主の御心の中心にいること、皆さん一人ひとりが主にとって大切であることを、感じさせてくださいます。

 皆さんの耳が聞こえず舌の回らない状態をいやすことを望まれる主は、今日、こう言われます。「開け!」と。一番大切なのはこのことです。神に開き、兄弟たちに開き、福音に向けて開き、福音を皆さんの生活の羅針盤とすることです。

 神と御言葉に、福音に、教会の信仰に自らを開きましょう。そうすることで、わたしたち同士の交わりが可能となり、ここパプアニューギニアでも、異なる社会を築くことができるでしょう。」

 教皇はこのような説教を通し、パプアニューギニアの信者たちを励まされた。



08 9月 2024, 03:09