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「愛がなければ、わたしたちは何者でもない」教皇、シンガポールでミサ

教皇フランシスコは、シンガポールの競技場でミサをとり行われた。

 教皇フランシスコは、9月12日(木)、シンガポール・スポーツ・ハブでミサをとり行われた。

 教皇はミサの開始前に、ゴルフカーで会場を一周され、スタジアムをいっぱいに埋めたおよそ5万人の信者らの歓迎に応えると共に、特にアリーナ席の病者や障害者、お年寄りや子どもたち、新婚の夫婦らに言葉をかけられた。

 ミサの説教で教皇は、豊かな賜物に恵まれ、活発で成長の中にあり、他の諸宗教と建設的な対話を築いているシンガポールの教会のために、神に感謝された。

 教皇は「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」(1コリント8,1)という、使徒聖パウロの言葉を観想。

 シンガポールの美しさと、それに魅力を加えている大きく斬新な建築群に触れつつ、この世にポジティブなしるしを残すあらゆる事業と同様に、これらの建物を造り上げているその源にあるものは、つまるところ「愛」である、と話された。

 そして、教皇は、「この世に何か良いものが残るとしたら、それはただ、あらゆる状況において、愛が憎しみに、連帯が無関心に、エゴイズムに寛大が勝ったからである。さもなければ、このような大都市を発展させることは誰にもできない」と語られた。

 しばしば、わたしたちの計画の偉大さや大規模さが、わたしたちに権力を幻想させ、自分たちは一人で何でもできると思い違いをさせるが、人生の最後にわかるのは「愛がなければ、わたしたちは何者でもない」ということである、と教皇は説かれた。

 そして、教皇は、わたしたちの愛し愛される能力の根底にあるものは、父の心を持たれる神ご自身であると話し、「わたしたちの愛の中に、神の愛の反映を見る」「この愛は、民族、宗教、あらゆる差異を超えた、すべての人に対する深い尊重に特徴づけられている」と言った、聖ヨハネ・パウロ2世の1986年のシンガポール訪問時の言葉を引用された。

 神の愛はわたしたちに貧しい人の必要に寛大に応え、苦しむ人たちに憐みをもって接するように招いている、と述べた教皇は、いつくしみ深い神に引き寄せられ、神の愛の反映、エコーとなった多くの聖人たちの存在を思い起こしつつ、その中でも特に聖母マリアと聖フランシスコ・ザビエルの名を挙げられた。

 この日教会暦で「マリアのみ名」が記念されたことを指摘しながら、教皇は「マリアの中に御父の愛が最も美しく完全な形で表れているのを見る。それは、すべてを理解し、赦し、わたしたちを決して見捨てないという、母の優しさである」と話された。

 次に教皇は、宣教の旅の途中、何度もこの地方を訪れている聖人、フランシスコ・ザビエルに言及。聖イグナチオに宛てた書簡の中でザビエルは、当時のすべての大学に赴きたいとの願望を表し、「あちらこちらで狂人のように叫び、愛よりも知識を多く持つ人たちを揺さぶり」、彼らが兄弟たちの愛のために宣教師になりたいと感じ、「彼らが心の奥底から『主よ、わたしはここにおります。わたしに何をお望みですか』と言う」までになることを望んでいたと紹介。

 教皇は、わたしたちも聖母マリアと聖フランシスコ・ザビエルに倣い、『主よ、わたしはここにおります。わたしに何をお望みですか』という言葉を、常に自分のものにできるようにと祈られた。

 このミサの共同祈願の中では、台風に襲われたベトナムのために祈りが捧げられた。

 

12 9月 2024, 22:04