教皇フランシスコ 2024年10月13日のお告げの祈り 教皇フランシスコ 2024年10月13日のお告げの祈り  (ANSA)

教皇「本当の豊かさとは、神から慈しんで見つめられること」

教皇フランシスコは、10月13日(日)、正午の祈りを巡礼者と共に唱えられた。

 教皇フランシスコは、10月13日(日)、バチカンでお告げの祈りの集いを持たれた。 

 年間第28主日、教皇は祈りに先立ち、この日の福音朗読箇所、「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」と、イエスに走り寄って尋ねた金持ちの男のエピソード(マルコ福音書10,17-30)を取り上げ、説教を行われた。

 教皇の説教の要旨は次のとおり。

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 今日の典礼の福音(マルコ10,17-30)は、イエスに走り寄り、「永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」(同10,17)と尋ねた金持ちの男のエピソードを語っている。すべてを売り払い、自分に従うようにと、イエスが招くと、その人は悲しみながら立ち去った。はじめは走り寄り、そして立ち去る、この態度について考えてみよう。
 
 まず、この人はイエスに走り寄った。それはまるで何かに押されたかのようであった。実際、彼は多くの財産を持ちながらも満足せず、心に落ち着かないものを抱え、もっと満たされた人生を探しに出かけた。病気に悩む人や、悪霊に取りつかれた人たちがそうしたように(参照 マルコ3,10、5,6)、彼はイエスの足元にひれ伏した。彼はお金は持っていたが、いやしを必要としていた。

 イエスは彼を慈しんで見つめ、一つの「治療」を提案した。持っている物を売り払い、貧しい人々に施し、それから、ご自分に従うように言われたのである。しかし、ここで突然結末が訪れる。この人は気落ちした顔で立ち去るのだ。イエスに出会いたいとの願望が大きく、衝動的だったのと同じくらい、イエスに別れを告げるのも、冷めて、早かったのである。

 わたしたちも心の中に幸福と意味に満ちた人生への抑えがたい必要を抱えている。しかし、その答えを物質的な事柄やこの世での安泰の中に見出そうとする幻想に陥りかねないのである。これに対し、イエスは、わたしたちの本当の願望を明らかにし、わたしたちが熱望する財産とは、神ご自身と神の愛、神だけが与え得る永遠のいのちであると、発見することを望まれる。

 本当の豊かさとは、イエスがこの人にそうしたように、神から慈しんで見つめられ、自分の人生を他者への贈り物としながら、わたしたちの間で互いに愛し合うことである。それゆえに、イエスは、行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施し、「愛のためにリスクをおかすように」と招かれる。それは、すなわち、自分自身と、自らの偽の安全を脱ぎ捨て、助けを必要とする人に注意をはらい、自分たちの持っているものを、つまり、物的なことだけでなく、わたしたちの才能や、友情、時間などを分かち合うことを意味する。

 あの金持ちの人は、愛のためにリスクをおかすことを望まず、悲しい顔で立ち去った。では、わたしたちはどうだろうか。わたしたちの心は何に執着しているだろうか。いのちと幸福への願望をどのように満たしているだろうか。貧しい人や、困っている人、誰かに話を聞いてほしい人たちと、分かち合うことができるだろうか。これを忘れてはならない。真の豊かさとは、この世の財産ではなく、神から愛され、神のように愛することを学ぶことであると。

 イエスの中に人生の宝があると気づくことができるように、おとめマリアに取り次ぎを祈ろう。

 

13 10月 2024, 18:03