シノドス閉会ミサ:教皇「座った教会ではなく、主に従う宣教的教会に」
「世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会・第2会期」の閉会ミサが、10月27日(日)、バチカンの聖ペトロ大聖堂で、教皇フランシスコとシノドス参加者らによって捧げられた。
「共に歩む教会のため − 交わり、参加、そして宣教」をテーマにした同シノドスは、全教会の成員や組織が積極的に参加する一つの大きな「歩み」としての形をとりながら、3年間にわたり進められてきた。
2021年10月、バチカンでのミサをもって開始が宣言された同シノドスは、第1ステージ(地方教会レベル、〜2022年夏)と、第2ステージ(大陸レベル、2022年秋〜2023年春)を経て、最終ステージ(世界レベル、バチカンにおける世界代表司教会議・総会、第1会期2023年10月、および第2会期2024年10月)までその歩みを続けた。
最後の段階に当たるバチカンでの総会・第2会期は、10月2日に開会。特に「宣教するシノドス的教会になるには」を命題に作業が進められ、10月26日に最終文書を採択、翌27日、閉会ミサがとり行われた。
同シノドスのローマの総会には、第1会期、第2会期を通し、日本から、司教団の代表として日本カトリック司教協議会会長・菊地功・東京大司教、議長代理として西村桃子さん(セルヴィ・エヴァンジェリー会員)、専門家およびファシリテーターとしてシスター弘田鎮枝(ベリス・メルセス宣教修道女会会員)が参加した。
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教皇フランシスコは、閉会ミサの説教で、同日の福音朗読箇所、マルコ福音書(10,46-52)の、イエスが盲人バルティマイをいやすエピソードを観想された。
教皇は、社会から疎外され、希望もないまま、道端で物乞いをせざるを得なかった盲人バルティマイが、イエスが通りかかるのを聞いて叫び始めたのは、自らの苦しみと、見えるようになりたいとの願いをイエスに伝えるほかには、彼に残されたものはなかったからである、と述べた。
皆がバルティマイを叱りつけて黙らせようとしたが、イエスは立ち止まられた。なぜなら、神は常に貧しい人の苦しみの叫びに耳を傾けられるからである、と教皇は話した。
教皇は、バルティマイが最初に道端に座って物乞いをしていた時と、イエスに呼ばれ、視力を取り戻し、「イエスに従った」時の、2つの異なる状態に注目。
まず、座って物乞いをしていた時のバルティマイの状態は、自分の苦しみの中に完全に閉じこもった人のそれである、と述べた。
それに対し、呼ばれて、座っていた状態から「躍り上がって」イエスのもとに行き、すぐにいやされて見えるようになったバルティマイは、主を見て、神が彼の人生に行われたことを理解し、最後にはイエスの後に従うまでになった、と教皇は話された。
わたしたちも同じである、と述べた教皇は、わたしたちが座り込んでいる時、教会が再び歩み出すための力や勇気を得られない時は、いつでも主と、その福音に立ち返ることが必要と強調。
わたしたちが毎回、そばを通られる主に耳を傾けるならば、その呼びかけに躍り上がり、見えない状態から脱し、再び主に従って歩み始めることができるだろう、と説かれた。
教皇は、特にイエスに従って行ったバルティマイの姿は、シノドス的な教会のイメージであると指摘。
主はわたしたちを呼ばれ、座り込んでいる、あるいは倒れている状態から立ち上がらせ、再び見えるようにしてくださる、と話された。
座った教会ではなく、立った教会、沈黙した教会ではなく、人類の叫びを集める教会、見えない教会ではなく、キリストに照らされ、福音の光を人々に伝える教会、動かない教会ではなく、主に従って世界の道を行く宣教的な教会の姿を、教皇は示された。
そして、バルティマイのように、「安心しなさい。立ちなさい。お呼びだ」という言葉に、諦めの上着を脱ぎ捨て、見えない状態を主に託して立ち上がり、福音の喜びを世界の道々にもたらしていこうと、教皇はシノドス関係者はもとより、全教会を力強く励まされた。