「神の祝福を世に伝える」教皇、バチカンの高官らに降誕祭前の挨拶
教皇フランシスコは、降誕祭を数日後に控えた12月21日(土)、枢機卿やバチカンの諸機関の責任者らとの出会いを持たれた。
この日、バチカン宮殿の「祝福の間」には、降誕祭前の挨拶を教皇と交わすために、日頃教皇の協力者として働く枢機卿や、高位聖職者、バチカンの諸機関の責任者らが集った。
教皇は一年を締めくくる講話で、数多くの部署からなる複雑な構成を持った教皇庁で、仕事における共同体生活を享受するための助言を行われた。
「祝福を祈りなさい。呪ってはなりません」(参照 ローマ12,14)という使徒聖パウロの言葉を引用しつつ、教皇は、「人を祝福し、悪く言わない」ことは謙遜の表現であり、謙遜とはまさに人となられた神の御子の神秘の本質的側面である、と話された。
他者のことを悪く考えたり、話したりせず、謙遜の道を歩み、喜びと兄弟愛のもとに生きる教会共同体のあり方を示しながら、教皇は謙遜の道を実践するための霊的な訓練として、ガザのドロテオ(修道者505−565)ら、古き時代の霊的な師たちの教えである、他者を悪く言わないために自らを省みる精神を学ぶように勧められた。
そして、「謙遜な人に何か不都合なことが起きると、その人はすぐに自分を省みて、自分はその起きたことにふさわしいと考える。他者のせいにして、彼らをののしることはしない。動揺も苦しみもなしに、落ち着きのもとに、静かにそれに耐える。謙遜は自分をいらだたせず、他者をもいらだたせない」というガザのドロテオの言葉を紹介。
教皇はこの精神の基礎はイエスの中にあると述べつつ、この日々、プレゼピオを見つめ、自らを低くされたイエスを観想することで、内的なへりくだりの精神についての気づきを得るように招かれた。
受肉した御言葉は、神はわたしたちを呪われたのではなく、祝福してくださったことを表している、と述べた教皇は、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました」(エフェソ1,3)という、聖パウロの賛美を思い起こされた。
教皇はここで「神から祝福されているからこそ、祝福できる」という祝福の本質を指摘。
「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています」(ルカ1,42)とエリザベトから挨拶されたマリアこそ、まさに祝福された人であったがゆえに、イエスという祝福を世にもたらすことができた、と話された。
教会の象徴であるマリアを見つめながら、教皇は、神の人類に対する祝福の道具である教会において、わたしたちは全員が祝福のために働く人となるように召されていると強調。
教皇庁という大きな組織の中で、たとえ異なる職務についていても、すべての人は神の祝福と母なる教会を世に伝えるという同じ目的のために働いていると述べ、教皇はバチカン関係者の日々の努力を励まされた。