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教皇フランシスコと駐バチカン外交団との新年の集い 2025年1月9日 バチカン宮殿・祝福の間 教皇フランシスコと駐バチカン外交団との新年の集い 2025年1月9日 バチカン宮殿・祝福の間  (VATICAN MEDIA Divisione Foto)

教皇「戦争の雲を、平和の風で吹き払う希望の外交を」

教皇フランシスコは、駐バチカン外交団と新年の挨拶を交わされた。

 教皇フランシスコは、1月9日(木)、駐バチカン外交団と新年の挨拶を交換された。

 バチカンの祝福の間で行われたこの恒例の行事には、各国・組織の大使および代表が一堂に会した。

 現在、バチカンと完全な外交関係を結ぶ国は184カ国。これらに、欧州連合とマルタ騎士団が加わる。

 教皇は風邪の影響のため、大使らに向けた挨拶を、教皇庁東方教会省事務次官フィリッポ・チャンパネッリ神父の代読に委ねられた。

 この中で教皇は、最近の世界情勢を展望すると共に、そこから浮かび上がる傾向を分析。

 世界が数多くの紛争や恥ずべきテロ行為の中で新年を迎えたことを遺憾としつつも、この聖年を背景に「希望の外交」を提示しながら、対話による平和構築を訴えられた。

 教皇は、「多くの国で社会・政治における対立の深まりが見られ、社会はさらに分極化し、隣人に対する恐れと、未来への不信が巣食っている」、そして、これらの傾向は、「特に次々に生まれ広がる『フェイクニュース』によって深刻化している」と述べる。

 そして、フェイクニュースが、出来事の事実を歪曲するだけでなく、現実に対する誤った知覚と懐疑的な空気を生みながら、憎しみと偏見を増幅させ、社会の共存と国内の安定を危険にさらしている、と語っている。

 教皇は聖年であるこの新年が、キリスト教信者だけでなく、すべての人に、人類として、また政治共同体としての絆を再考させ、「対立の論理」を克服し、「出会いの論理」を抱擁する機会となるように、わたしたちが絶望した放浪者ではなく、希望の巡礼者として、平和の未来の構築に取り組む時間となるように、と願われた。

 世界戦争の脅威がより具体化するのを前に、外交の召命は、「不都合な」相手や、正当な交渉相手と認められていない人をも含む、すべての人との対話を促進することであり、これが憎しみや復讐の連鎖を断ち切る唯一の道である、と教皇は述べた。

 こうした中、教皇は、イエスが公生活の始まりにナザレの会堂で預言者イザヤの巻物を朗読し、説教を行ったエピソード(ルカ4,16-2)を思い起こしつつ、その時イエスが目をとめた「イザヤ書」の次の言葉を引用。

 「(主はわたしに油を注ぎ、主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして)貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み、捕らわれ人には自由を、つながれている人には解放を告知させるために」 (イザヤ 61,1-2a)。

 そして、教皇は、このイザヤ書の言葉の一つひとつを「希望の外交」の指針として示しながら、皆がその「希望の外交」の先駆けとなることで、立ち込めた戦争の雲が、新たな平和の風によって吹き払われることを希望された。

貧しい人に良い知らせを伝える

 「現代には多くの貧しさがある。今日ほど、人類が進歩や発展、豊かさを経験しながらも、これほどまでに孤独で道を見失ったことはない」と述べる教皇は、「人々に良い知らせを伝えることは急務である」と言う。

 「人間には生来、真理への渇望を持っている。しかし、この時代、自明の真理を否定する風潮が勢いを帯びている」と教皇は観察しつつ、「客観的な真実を無視し、自分自身の『真実』を作り出す傾向」が、「経済・政治・イデオロギー上の目的の意識操作の手段として悪用されている今日のメディアや人工知能によって、さらに強まる可能性」を危惧している。

 教皇は「希望の外交とは、何よりもまず真実の外交である」と述べる。

 「コミュニケーション、対話、共通善への取り組みには、誠意と共通言語への参加が求められる。これは外交分野、特に多国間的背景においてまことに重要である」、「そのため、分裂をもたらし、価値観や信仰を踏みにじるイデオロギーの推進のために多国間の文書を利用しようとする試み、すなわち用語の意味を変えたり、人権条約の内容を一方的に再解釈したりすることは、とりわけ憂慮すべきものである」と語っている。

打ち砕かれた心を包む

 「希望の外交は、赦しの外交でもある。それは、憎しみと暴力によって引き裂かれた人間関係を紡ぎ直し、あまりにも多い犠牲者たちの傷ついた心を癒すものである」と教皇は説く。

 そして、教皇は2025年の希望として、3年近くにわたりウクライナを苦しめ、多くの犠牲者を出してきた戦争に終止符を打つための国際社会全体の尽力を願われた。一方で、教皇は、公正な恒久平和の条件を整え、侵略による傷を癒すためには、まだ多くの作業が必要とも述べている。

 同様に教皇は、ガザにおける停戦と、イスラエル人の人質の解放を改めてアピール。「ガザの深刻かつ恥ずべき人道的状況」に対し、「パレスチナの人々が必要とするすべての援助を受けられるように」と願った。教皇は、イスラエル人とパレスチナ人が対話と相互信頼の架け橋を再び築き、未来の世代が2つの国家において平和と安全のうちに共存し、エルサレムがキリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒が調和と尊重のうちに共存できる「出会いの都市」となることを希望された。

 「戦争とは常に挫折である」と述べた教皇は、「民間人、特に子どもたちを巻き込み、インフラを破壊することは、敗北であるのみならず、双方の争いで悪のみを勝たせることに等しい」と強調。民間人への爆撃や、人々が生きていく上で必要不可欠なインフラへの攻撃、病院やエネルギー網の破壊のために、子どもたちが凍死する状況はまったく容認できないものと述べている。

 教皇は、この聖年が国際社会にとって、不可侵の人権が軍事要求のために犠牲になることがないように取り組む機会になることを願われた。また、国際人道法が必ず遵守されるよう、継続した努力を期待された。

 教皇は、スーダン、サヘル地域、「アフリカの角」地域、モザンビーク、コンゴ民主共和国など、紛争やテロリズム、また干ばつ、洪水などの自然災害に苦しむアフリカ各地に思いを向けられた。

 また、続く武力衝突のため、家から逃げ、恐怖の中で暮らさざるを得ないミャンマーの人々を心に留められた。

 さらに、様々な政治・社会的対立や暴力・混乱が見られるアメリカ大陸、中でもハイチ、ベネズエラ、ボリビア、コロンビア、ニカラグアの情勢に触れられた。

 教皇は、特に「数年にわたる戦争と荒廃の後、安定に向けて歩み始めたように見えるシリア」に言及。同国において、領土の一体性、国民の一致、必要な憲法改革が損なわれることがないようにと望まれた。

 同様に、教皇はレバノンについて、特に同国の社会の構成員であるキリスト教徒たちの決定的な支援により、深刻な経済・社会状況に立ち向かうための制度上の安定を得て、戦争の被害を受けた南部の復興ができるようにと願われた。

捕らわれ人に自由を

 教皇は、いまだ様々な形で存在する奴隷制度に触れながら、あまりにも多くの人々がしばしば非人間的な労働条件の奴隷となっていることを懸念。尊厳ある労働条件を整え、高貴で尊いものであるはずの労働が、人間の実現と成長の妨げとならないようにと注意を喚起された。

 また、教皇は、若者たちを襲う薬物中毒や、戦争、飢饉、迫害、気候変動の影響などから逃れ、安全な場所を求める多くの人々を搾取する人身取引などと戦う必要を訴えた。

つながれている人に解放を告げる

 「希望の外交とは、正義の外交であり、それなくして平和はない」と教皇は述べ、聖年を、正義を実践し、債務を免除し、受刑者の刑を減刑するのにふさわしい機会として示した。

 教皇は、すべての国において死刑が廃止されるよう改めてアピール。今日、死刑は正義を救済する手段としての正当性を見つけることができない、と述べた。

 また、わたしたちが共に暮らす家=地球と、そこで今暮らす人々と将来暮らす人々のためにできる限りの努力を訴える教皇は、最も豊かな国々に対し、返済不可能な国の債務の免除を願い、中でも、エコロジカルな債務として、恵まれない国の対外債務を、統合的な人間開発政策・プログラムに転換する方法を見出すようよう招いた。

 「キリスト教的観点から、聖年とは恵みの時である」と述べた教皇は、2025年が真理、赦し、自由、正義、平和に満ちた、恵みの年となることを切に祈られた。

教皇フランシスコと駐バチカン外交団 2025年1月9日 バチカン・システィーナ礼拝堂
教皇フランシスコと駐バチカン外交団 2025年1月9日 バチカン・システィーナ礼拝堂
09 1月 2025, 21:26