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ホルヘ・アルトゥーロ・メディナ・エステヴェス枢機卿 ホルヘ・アルトゥーロ・メディナ・エステヴェス枢機卿 

メディナ・エステヴェス枢機卿逝去、典礼秘跡省元長官

チリ出身で、教皇庁典礼秘跡省元長官のホルヘ・アルトゥーロ・メディナ・エステヴェス枢機卿が、サンティアゴ・デ・チレで亡くなった。94歳であった。

 教皇庁典礼秘跡省元長官のホルヘ・アルトゥーロ・メディナ・エステヴェス枢機卿が、10月3日、サンティアゴ・デ・チレで亡くなった。94歳であった。

 メディナ・エステヴェス枢機卿は、1926年、チリに生まれた。1954年に司祭叙階後、チリの教皇庁立カトリック大学で教鞭をとり、神学部長、大学総長を務めた。1962年、第二バチカン公会議に専門家として参加。以後、教会法準備委員会、国際神学委員会、カテキズム起草委員会など、教皇庁の諸機関の仕事に協力した。1984年、ランカグア補佐司教、後、同教区長。1993年、バルパライソ司教。1996年、教皇庁典礼秘跡省長官代理、2年後、同省長官(~2002年)。1998年、枢機卿に任命された。2005年4月、ヨハネ・パウロ2世逝去後のコンクラーベに参加、「プロトディアコノ」として、聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーから新教皇ベネディクト16世の名を告げる役を果たした。

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 また、9月29日には、モザンビークのアレクサンドレ・ジョゼ・マリア・ドス・サントス枢機卿(97)が、マプートで逝去した。

 ドス・サントス枢機卿は、1924年、モザンビークに生まれた。フランシスコ会の宣教師らのもとで信仰を育み、国内の神学校で学んだ後、マラウイで哲学コースを修めた。1947年、ポルトガル・リスボンのフランシスコ会に入会。1953年、司祭叙階。翌年、モザンビークに戻り、祖国での宣教に専念。1974年、マプート大司教(2003年、教区長から引退)。1988年、枢機卿に任命された。ドス・サントス枢機卿は、その長い司牧活動を通し、モザンビークの教会の重鎮として、内戦に傷ついた人々を精神的に支え、「灯台」の役割をもって社会を照らし、国内の和解に大きく貢献した。

 ドス・サントス枢機卿と、メディナ・エステヴェス枢機卿の逝去により、現在の全枢機卿数は215人、そのうち教皇選挙の投票権を持つ80歳未満の枢機卿は120人、投票権を持たない80歳以上の枢機卿は94人となった。

アレクサンドレ・ジョゼ・マリア・ドス・サントス枢機卿
アレクサンドレ・ジョゼ・マリア・ドス・サントス枢機卿
04 10月 2021, 18:15