バチカン図書館「マレガ文書」、日本との文化外交の実りとして
バチカン図書館は、同館が所蔵する日本近世のキリシタン関係史料群「マレガ文書」を、日本との共同プロジェクトを通した、文化的な外交・協力の賜物として紹介した。
バチカン広報局ホールで、3月1日行われた会見では、バチカン文書館・図書館総責任者、ジョゼ・トレンティノ・メンドンサ枢機卿、バチカン図書館館長チェーザレ・パシーニ師、京都外語大学のシルヴィオ・ヴィータ教授らが発表を行った。
キリシタン関係史料群「マレガ収集文書」(マレガ・コレクション)は、北イタリア・ゴリツィア県の出身で、日本に1930年宣教師として派遣されたサレジオ会のマリオ・マレガ神父(1902-1978)が、初期の司牧先であった九州、特に大分で、研究資料として精力的に収集し、戦後1953年、バチカンに送った古文書の蒐集。その所在は長年不明になっていたが、2011年、バチカン図書館の再編中に袋や箱に梱包された状態で発見された。
この発見後、2013年、バチカン図書館と日本の人間文化研究機構・国文学研究資料館を中心に、同機構・歴史民族博物館、東京大学史料編纂所、大分県立先哲史料館、臼杵市、またイタリアの大学・研究機関等の参加のもと「マレガ・プロジェクト」が発足。同プロジェクトを通し、調査・整理・修復・デジタル化が行われ、その史料群の内容を明らかにすると共に、より良い保存と普及への基盤づくりを目指す作業が行われた。また、これと並んで、活発な研究と発表の機会が設けられた。
宣教師として赴いた日本の歴史と風土の研究に深い関心と情熱を傾けたマレガ神父は、1938年に「古事記」のイタリア語訳、1942年に「豊後切支丹史料」、1946年に「続豊後切支丹史料」を刊行。バチカンで発見された史料群は、豊後切支丹史料および同続編の原史料と考えられるものであった。その史料からは、特に豊後・臼杵藩のキリスト教禁教下の社会と、棄教・改宗したキリシタンの子孫たち(類族)の生活が浮かび上がってくる。
バチカン図書館総責任者メンドンサ枢機卿は、「マレガ文書」は、日本国外におけるまとまったキリシタン史料として最大とされるもので、14000にわたるその史料の研究・修復・目録整備には、日本の関係者チームの長い協力があった、と述べた。
そして、「マレガ文書」は日本のキリスト教の歴史を再構築するために本質的なものであるだけでなく、この時代の日本社会の様々な様相を知る上で貴重な価値を持つものと強調した。
シルヴィオ・ヴィータ教授は、実際、「マレガ文書」は、日本の一つの地方の17世紀から19世紀の社会の様相を垣間見させるもので、そこからは非常に「近代的」といえるその住民の登録・管理法を知ることができ、限定された一地域についてのこれだけの規模の史料は日本でも稀なものと言える、と述べた。
特に「マレガ文書」は、キリシタンの代々の子孫「類族」に至るまで、キリシタンではないことの証明を求め続ける当時の管理を知る上で非常に重要であり、さらに、豊後は聖フランシスコ・ザビエルの宣教の地であるという観点からも大変興味深いもの、と指摘した。
バチカン図書館チェーザレ・パシーニ館長は、「マレガ文書」をめぐる「文化外交」の実りを振り返ると共に、このプロジェクトが完了し、デジタル化された史料のオンライン閲覧(https://base1.nijl.ac.jp/~marega/)が可能となった今、ここで終わるのではなく、むしろここから新たな研究が始まる、と述べ、今後の日本の研究機関との構築的な関係の継続に期待を表明した。