カンタラメッサ枢機卿の小さな黙想・第1回
復活祭に備える悔い改めの時、四旬節が始まり、教皇フランシスコをはじめ、ローマ在住の枢機卿、教皇庁諸機関の責任者らは、2月18日(日)午後から、23日(金)午後まで、それぞれ個人的な形で黙想期間を過ごしている。
この四旬節を機会に、バチカン・ニュースは、教皇付き説教師ラニエーロ・カンタラメッサ枢機卿に、ビデオを通した数分間の黙想を依頼した。
6回にわたって行われるこの小さな黙想で、同枢機卿は毎回イエスの言葉を一つ示し、それを一日中、心の中ではんすうするようにと招いている。
カンタラメッサ枢機卿は、その第一回目の黙想で、イエスが最初の弟子たちとの出会いの場面で言われた、「何を求めているのか」(ヨハネ1,38)という言葉を取り上げた。
カンタラメッサ枢機卿の小さな黙想・第1回目の内容は次のとおり。
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わたしは、6日にわたり、皆さんと一緒に1分程度の黙想を分かち合って欲しいと頼まれました。1分間で話せる、ほんのわずかな言葉で、一日を、そして全生涯を満たすことができるもの、それはイエスの口から出た言葉です。
毎回、それを一つずつ提示しますから、その言葉を一日中、いわば魂のチューインガムのように、どうかよく「噛みしめて」くださるようにお願いします。
では、さっそく今日噛みしめる言葉にまいりましょう。それは、イエスが、ご自分の後ろに従って来る洗礼者ヨハネの二人の弟子たちに向けて尋ねた、「何を求めているのか」(ヨハネ1,38)という言葉です。
その後の展開を思い出してください。弟子たちが「先生、どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは「来なさい、そうすればわかる」と言われました。
しかし、ここで重要なのは、「何を求めているのか」というイエスの問いです。
これを聞いておられる兄弟姉妹の皆さん、「わたしは人生に何を求めているのだろうか」と自問したことが一度はあるでしょう。
もし、すぐに答えが見つからないならば、わたしが助け舟を出しましょう。あなたが求めているものは皆が求めているもの、それは幸福です。
フロイトより先に、聖アウグスティヌスはそれを理解しました。「皆が、幸せになりたいと言っていました」。
フロイトと異なり、アウグスティヌスはこの普遍的な衝動に理由を与えました。アウグスティヌスは『告白』の冒頭部で、神に言います。「あなたはわたしたちをあなたのために作られました。わたしたちの心は、あなたの中で憩うまで、安らぎを得ることはありません」。
兄弟姉妹の皆さん、まさにここにあなたの多くの悲しみや不安の説明があるかを考えて見てください。つまり、神という生きた水の泉の代わりに、ひび割れた水槽の中に水を探してはいませんでしたか。